インド日記 バラナシ2月10日〜2月12日

2月10日

翌朝は、約束通りガンガーの日の出を、船に乗って見る為に6時半に起きた。

身だしなみを適当に行い、ギリギリ間に合うであろう時間に部屋を出た。
ホテルの門が閉まっていた。ガンガー沿いのホテルは多分どこも早朝には鍵が閉まっている。多分夜は危ないからだろうな。

とりあえず開く気配はない。ガシャガシャやっていたら、奥の部屋から支配人らしき男が出てきて、寝起きの気だるそうな感じで鍵を開けた。ああ、ここはインド。忘れていた
僕は、待ち合わせの時間に待ち合わせの場所へ行った。誰もいなかった。やれやれ

しばらくして、。石田君がやってきた。今日は、誰も来ないかもしれないなって、僕たちは早朝のガンガーで途方に暮れてみた。
15分位してとりあえずみんな集まった。ああ、ここはインドだ!ぼくがインドって事を忘れていただけなんだ。くそ

朝の、ガンガーはやたら寒かった。吐く息が白い。僕たちは船に乗って、ガンガーからガートを眺めた。太陽が暖かかった。
船には、15人の日本人。日本のよくある感じの会話が繰り広げられている船は、紛れもなく日本だった。

1時間半ほど船に乗って、食事を取るってんでみんなで移動した。なぜか僕は逸れてしまった。まあいい。これで良い。

僕は、昨日夜に行った安食堂に行った。コック長らしきインド人が僕の事を覚えていた。「また来たな日本人」みたいな事を言った。

僕は、一番安いターリーを注文した。地球の歩き方を見ながら、ターリーを食べた。やっぱり辛い。しかし安い。
デリーとアーグラーでお金を使いすぎた僕は、ここから節約生活に入ることにした。

食事後、昨日約束したお土産屋の青年のところへ行くことにした。

お土産屋はさっきの船に乗った日本人がたくさん居た。僕は、ちょっと気まずかったが、「ごめんね」って言って座った。

しばらく下らない会話を繰り広げて、僕と青年は散歩に出かけた。僕と、青年は船に乗ってガンガーの向こう岸に行くことにした。
僕のリクエスト、沐浴をする為に。

100ルピー支払い、僕と青年と船頭は向こう岸に行った。僕は、人生初の沐浴をした。寒い。だだ寒い。寒すぎて笑った。笑った。
僕は、青年と船頭の言う通り動いた。ジャンプした。岸から走ってガンガーに入った。船に戻ったら寒さで鳥肌が立っていた。

ヒンドゥー教徒ならこれで今までの罪が洗い流され、人生最高の洗礼を受けた事になるんだろうけど、僕はピカピカの日本人。
沐浴をしたことによって得られるものは、体が汚れる。風邪をひく。
僕は、明日からの体調の変化がちょびっと心配だった。結果、案の定風邪をひいた。



あーこっからだ。くい。くそ。インド最大のミス。くそ。やれやれ。ふぁっくふぁっく。もーもーわわわわわわわ

僕たちは、街に戻り青年の話によると、サイババの弟子の偉いお坊さんが、昨日からやって来ていて明日には帰るから見に行かないかって。
僕は何の疑いもせず、まんまと付いていった。くそ

案内されたところは、入り組んだ路地にある小さな部屋。
中に入ると、ナイキのニット帽をかぶった、オレンジ色の袈裟を着た髭が似合わない血色のいい、ふくよかな中年男性が座っていた。

彼は英語しか話さないからってんで、青年が通訳みたいな感じになっていた。
この、部屋に来る前に青年がこのお坊さんはチャリテーの一環で、占いをやっているって言ってた。
恵まれない子供たちの為に、自分の取り分は1ルピーで後は全部寄付するっていってた。
なんか、それ以外にも良いこと言ってた。くそ、それは全て前フリだったくそ。

「座りなさい」とお坊さん。僕は、座った。お坊さんの正面に。
「もっと、近くに座りなさい」と、お坊さん。僕は、もっと近くに座った。
「私は、未来と手相を見ることが出来る。お前は、何を知りたい?」僕は、「未来」って答えた。
お坊さんは、紙を取り出して何かを書き出した。手相750ルピー。未来1500ルピー。ファック。
未来を見るのに、日本円で約4500円かかるって事だ。ファックファック。まじふぁっくあーうんこ

やばいだまされてる。きっとどんなアホデモソウオモウジョウキョウ。クソ。

「さあ、日本人。豊かな国からきた日本人。恵まれない人の為に、いっぱいお金を寄付してくれ。さあ、豊かな国からきた日本人。私の取り分は1ルピーでいいんだ」

くそ。くそ。くそ。くそ。くそ。

僕の、脳みそはまるでマーブルチョコのようにグルグル回り、意識は混沌としてきた。くそ、こりゃ騙されてるんだ。くそ。俺しっかりしろ。おれ
完全に騙されてる、日本人だったら中指立てて、死ねーって叫びながらここを出て行くんだ。さあ、今すぐ出るんだ。ああわわわ

だけどこの、日本人ってところが非常に不味い。非常に不味い。無宗教の日本人。だけど神様はいるんじゃないかって、どっかで思ってる日本人。
うそついたら地獄に落ちるって思う日本人。お坊さんにお金を値切ったらこの先、幸運がなくなるんじゃないかって思う日本人。
お坊さんは、偉い人だ。聖職者だ。だから、うそなんか付かないって思う日本人。

不味い麻酔不味いくそ不味い。たぶん98%は偽者なんだ。98%ってところも不味い。もし2%の確率で本物のサイババの弟子だったら。不味いって。これくそ。
日本人。だから、ターゲットにされるんだ。くそ。ああ、僕は何を言ってるんだっけ。ああ、何してるんだ。あわわワカラなくなってきた

渋ってる僕を見かねて、お坊さんは50ルピーデイスカウントしてきた。ああ、ディスカウントするこいつは99%偽者だ。くそ、1%残ってるじゃないか。くそ
日本人は、お坊さんとか、神様とか、恵まれない人とかには弱い。くそくそ。そんな、隙間をついてくるインド人あんたはわわあわわわ
おみやげ物屋の青年も、「お金持ちの豊かな国からやってきた日本人。さあ、人助けをするんだ。チャリテーをするんだ。さあさあさあさあ。」

15分ほど経ってもまったくもって渋る僕に、お坊さんはどうやらあきらめたらしい。「わかった。日本人。嫌なら仕方がない。最後にお祈りだけさせてくれ」

僕は、彼らの手中に落ちた。この瞬間。

変な羽で頭と肩を叩かれた。なにか呪文を唱えながら。

「さあ、お祈りをしたからお布施をするんだ。お前の気持ちでいいから」くそ。ふぁっく。
僕は、200ルピー彼に差し出すと「いや日本人、最低500ルピーからだ」ファック。

たぶん僕はこの時、脳みそがグニャグニャしてたんだと思う。日本円で1500円。たかが1500円これで恵まれない人が助かるんならって。
汚い、お賽銭箱みたいな入れ物に僕は500ルピー紙幣を捻り込んだ。

「OK。さあこっちに来て座りなさい日本人。最後に、右手を貸しておくれ」

僕は、右手を彼に差し出した。僕の、右手にボールペンで何かを書き込むお坊さん。

「日本人。お前は35歳で結婚して、子供は2人だ。結婚相手は日本人以外のアメリカ人、イギリス人、フランス人、イタリア人の外国人だ。お前はお金には恵まれないが、お前の心は豊かになるだろう」

確か、こんなことを言ってた。時計をはずした右腕にお守りと証するオレンジ色の糸を巻かれた。「あなたに幸運を」

「さあ、日本人手相を見たから、さらに700ルピー支払うんだ。。。。。。」

僕の、脳内で何かはじける音が聞こえた。ああ、これか弾ける音ってと、僕はなぜかそう思った。

やっぱり詐欺師か。ああ、まあいい僕の完全なるミスでこういう状況になったのは間違いない。ぼくのミスだ。
わかった。「トータルで手相分の700ルピーは支払う。さっきの、お布施とあわせて700ルピーだ。だから、あと200ルピーしか払わん。」

僕は、英語でそう伝えたかったが多分伝わっていない。お土産屋の青年も、「やってもらった物にはお金を払うべきなんだ。」と、もっともなことを日本語で言い出した。

「ああ、日本人なめんなよ。くそインド人」ってはっきり日本語で言った。彼の目をしっかり見ながら。

彼は、「なんだ日本人金持ってないのか。ATMでも銀行でもキャッシュカードでもつかっておろして来い。」みたいな言葉でまくし立てる。

僕は、微動だにせず彼の目を見ていた。彼は、お土産屋の青年に助けを求めた。青年も、日本語でもっともらしい事を言ってた。
僕は、彼の目から目を離さなかった。「ジャパンマネー舐めんじゃねーぞ。くそインド人」って言いながら、目を離さなかった。

くそインド人。2000円だろ。くそインド人。飲みに行ったって2000円じゃ糞ほどしかビール飲めんのだよ。くそインド人。
そんな端金なら、日本人なら誰だって払う。ちょっと追い込みかけりゃ誰だって払うって?あほか糞インド人。

そんなやり取りがしばらく続き、どうやら彼は諦めたらしい。「わかった、700ルピーでいい。それで終わりだ」

彼は、出て行く僕を見ながら「ナマステ」と言った。僕も「ナマステ」と微笑んだ。最後の僕の仕返しだった。屁のツッパリにもなりゃしない仕返し。


僕は、青年と別れてガンガーを眺めた。自分の愚かさに後悔しながら、たそがれた。ダシャーシュワメイドガートでたそがれた。

ガンガーは今日もゆっくり流れていた。何も、変わらず流れていた。日差しは、チリチリ僕の肌を焼いていた。
あー。やってしまった。僕の脳は後悔となんか変な感情が混ざり合ってチョコマーブルみたいになっていた。


日本人グループの中にいた、大学4年のフジタさんがやってきた。僕たちは話した。インド人の嘘つきについて。
僕は、今起きた事を彼に話した。彼は、デリーでツーリストオフィスを連れ回された事を話した。
彼は、地球の歩き方をまったく読まないでインドに来た。デリーでツーリストオフィスに連れ込まれ、朝4時まで軟禁状態にされたらしい。
僕たちが、互いの騙され話をしていると、僕の日本語が書かれたTシャツを触ってくるインド人の子供。この子は多分2歳ぐらい。
日本語が珍しかったのか。僕の、Tシャツを触りまくる。僕は彼を抱きかかえた。フジタさんと僕は、彼を抱いて互いの写真を撮った。

皆さん、インドは好い所です。たそがれていると、日本人が話しかけてきます。インド人の子供は、人懐っこく、いい顔で笑いすぐに友達になれます。
お金が絡まない関係なら、大人とだって笑いがたえない関係で話せます。時間はゆっくり流れ、しかしあっという間に時はすぎていきます。
動物と人間が共存していて、細かいことには気にしない彼らを見習えば、ストレスとは無縁の生活が出来ます。
嘘つきと、詐欺師と、しつこいリクシャーと、しつこい客引きを全員、東京都指定の半透明のビニール袋に詰め込んでガンガーに流せばきっと、インドはいい国になります。

腕に巻かれたお守りは、はさみで切ってゴミ箱に捨ててやりました。

僕は、火葬場を遠くから眺めた。いつも火葬場を見ると涙が出てくる。なぜだかわからないが。

この日も、3本の煙が立ち上っていた。

インドは変な国だなって思った。火葬されている人を見世物にお金を稼ぐ爺。火葬簿の横で曲芸を披露して、観光客相手にお金を稼ぐ小さな曲芸士。
牛は神様だが、人々は棒で殴り、水牛は不浄な生き物。牛同士も喧嘩して、ガチョウも喧嘩する。生活のために嘘をついてお金を儲け、ガンガーに沐浴して罪をチャラにする。
インド人が日本にきたら、きっと彼らも日本って国は相当変な国だって思うだろうな。って妄想してみた。
きっと、お互いのカルチャーが違いすぎるだけなんだ。
ただ、インドの子供たちはもっそい良い顔で笑う。ああ、大人もか。みんな、大きな声で喋るし、何より元気だ。
きっと、こういった伸びしろのある国が、これからはグングン伸びていく気がした。
日本は豊かな国だ。便利で暮らしやすい。何より、うそつきや詐欺師が少ない。だけど、僕たちの国の子供の顔は真っ白で、いつも疲れている。
大人たちは、朝の満員電車に乗ってアイロンでパリッとしたスーツを着て、眠そうな顔をしながら出勤ている。夕方の電車には、疲れた顔の人と、クタクタのスーツ。
どっちが良いかなんて僕にはわからない。お互いの国に良い部分が、大いにあると思う。
僕は、インドの子供が好きだ。これからの旅で、もっと見習うことにしよう。もっと、遊ぼうと思った。



2月11日

翌朝は、昼過ぎに起きた。風邪をひいて軽くダウンしていたからだ。

このころの僕は、ようやく旅慣れてきた感じだ。顔つきもインド人らしく荒れてきた。
ビタミン不足かなって思ってたけど、汚れていただけだったって、ムンバイで気がついた。

今日は、この旅の最大の難関と位置付けていたリコンファーム。つまり航空券の予約確認。
それと、列車のウェイティングチケットにうんざりしたので、この旅のトレインチケットを全て取得する。

朝食に、顔の怖いインド人チャイ屋で朝食。ガイドブックを片手に、チャイを飲んでいたら、たぶんカナダ人女性とかなのかな、隣に座ってきて、僕のガイドブックを見せてほしいと。
僕は、彼女にガイドブックを渡した。旅って、こういう部分が面白かったりする。
彼女は、ガイドブックの写真を見ながら笑ってた。僕は、そんな彼女を見ながらチャイを飲んだ。
英語喋れないが何とか身振り手振りでやり取り。

彼女と別れ、駅を目指してリクシャーに乗った。駅について気がついた。時刻表忘れた。ファック

列車のチケットは後回しにして、エアインディアのオフィスまで歩いた。30分ぐらい歩いた。インドでは、ホントよく歩いた。

近くまで来たことは分かったのだが、オフィスが見当たらない。キョロキョロしていたらインド人少年が声をかけてきた。
僕は、「エアインディアのオフィスを探しているんだよ」と、彼に伝えると、彼は手招きした。
彼の指差した汚い雑居ビルには、確かにエアインディアの看板が出ていた。僕は、彼についていった。
雑居ビルの階段を3階まで登り、彼に指差されたオフィスにはISPの文字が。ファック。ファック。
僕は、お前たちの事はこれっぽっちも信用しないんだよ。

周りを見回すと、一番奥のオフィスにエアインディアの看板があった。ISPってのは、たぶん旅行代理店。ファック。
少年に向かって「あほか」って、日本語で呟いた。

僕は、エアインディアのオフィスのドアを開けた。中には、インド人女性が2人。パソコンの前に座ってキーボードを叩いていた。
2つの椅子にはインド人男性が2人座って何かを女性と話していた。ドアの横には、インド人男性が、たぶんセキュリテーの人だろう、が座っていた。
僕は、3人がけのソファーに座りチケットを取り出して、チケットとオフィスの中をしばらく眺めた。

しばらくするとインド人女性が、僕に「何用ですか?」と、声をかけた。僕は、「リコンファームお願いします」と、言った。
パスポートと日時の確認をして、それはマクドナルドでハンバーガーセットを買うより簡単に終わった。
ちょっと、うれしかった。

その夜は、ウイスキーを飲み寝た



2月12日

この日は、ホテルのチェックアウト日。

チェックアウト後、フロントマンから次の目的地「ブッタ・ガヤ」で日本人に渡してくれって、ホテルの名刺を渡された。
このホテル、あの客引きに連れられてきた割には、コストパフォーマンスの良いホテルだったと、後で気がついた。

バックパックを背負い、Internet Cafeが開くまでの暫くの時間、ガンガーで沐浴する人々を眺めた。
僕は、一人でボーっとしたかったが、やたら話しかけてくるインド人。あーここは、インド。そう、インド。

時間になったので、バックパックを背負いInternet Cafeに入った。四苦八苦しながら、地球の歩き方を見ながら、何とかタイムテーブルを開いた。
列車番号、列車名、到着時間、料金、空席情報、全ての情報を、これから移動する区間全て入手した。完璧に。
どうやらまた1日、列車の都合でバラナシに居る日が多くなった。それは、それで素敵なことだった。

バラナシの別ホテルにチェックインするために、バックパックを担いで歩いた。インドでは、バックパックと地球の歩き方を手にしているだけで、旅行者は客引きの格好の餌食に変貌する。

この日の客引きは、この旅一番の強者だった。たぶん、ヘロインのやりすぎで頭がお菓子の奴だと思う。

ぼくは、ガイドブック片手に、シバゲストハウスを目指して歩いた。
客引きは、「シバ?あーあんな糞ホテルに泊まるなんて気がおかしいよ。俺の、知ってる最高に安くて、最高に良いホテルに泊ろう。さあ、行こう日本人。シバは、悪人しか居ないホテルだ。行くのはやめろよ。」

僕は、完全に無視して歩き続けた。

「おい。そっちは道が違うぞ日本人。さあ、こっちだ、こっちだ」

僕は、完全に取り合わなかった。

「OK。分かった。シバに案内しよう。ついて来い日本人」噛みタバコで赤くなった歯を見せながら彼は喋った。糞

僕は、シバゲストハウスを通過してガンガーに向かった。

「ヘイ日本人。そっちはガンガーだ。気がおかしいのか?シバは此処だ。さあ、チェックインするんだ。日本人」

後で聞いた話だが、客引きは購入金額の25%をキックバックされるシステムらしい。客は、キックバック代を上乗せされた金額で購入させられるシステム。
インド人が言ってた話だから、嘘かも知れないが。
僕は、こいつの為にホテル代が高くなるのが無性にイラついた。

僕は、シカトしてガンガーを眺めた。このとき、たまたま近くで本を読んでいた日本人と、コルカタで再会するのだが、それはまたずっと後の話。

ヒートアップする、客引き。赤い歯をむき出しにあれこれ喋る。

あーめんどくせー「ファック。シャラップ・まじ黙れファック」僕は、中指を立てて彼に突き出した。

「なぜ、ファック?意味が分からん。さあ、ホテルに行こう」

僕は、中指を立てたまま。移動した。付いて来る客引き。僕は、立ちふさがる彼を押しのけた。それが、気に障ったらしい。

「日本人。此処は俺の国だ。お前の国じゃない。ガンガーもホテルもガートも道も俺の国だ。さあ、今すぐ出て行け。マリファナやりすぎで頭がイカレタ日本人。さあさあ。今すぐだ」

僕は英語と日本語交じりで、彼を汚く罵った。

「イカレタ日本人。ハシシとチョコとポンプとシャブやって、この高台から落ちて頭砕けてガンガーに流れろ」たぶん、そんなことを言ってた。

真剣にぶっ飛ばそうかとも思ったが、罵るだけにした。「すぐ消えろ。ファック。お前がしね」僕の、英語がもっと出来たならって思いながら。

彼は、何かを罵りながら去っていった。僕は、一息つくためその場でガンガーを眺めた。くそくそ

2分経つか経たないか。今までキレてた客引きが「おーさっきはゴメン。俺たちは友達じゃないか。さあ、ホテルに行こう」

僕は、あきれ返った。やはり僕たち日本人をこいつは金ヅルとしか思っていない。

ぼくは、面倒になったので、クシミ君に教えてもらった事を試そうと閃いた。
両耳を手でふさいで、ずっと「ファックファックシャラップファック」ってクルクルパーになった。小躍りしながら空を眺めながら、彼を見ながら暫く踊った。

彼は、暫く何か汚く罵っていたが、あきらめたらしく、葉っぱやって頭から落ちて、ガンガーに流されろって叫びながら去っていった。
たぶん僕の勝ちだ。いや、負けた気もした、くそ。まあいい。全員ガンガーに流されて全滅しろインド人。真剣にどうすれば実行できるか考えてみた。不毛

シバゲストハウスにチェックインして、サンダルとボディーソープを購入すべく街を彷徨った。

自称、医大生の何とかって名前のインド人に捕まった。名目はこうだ。「僕は、客引きでもガイドでもない。僕は、日本が大好きで日本語を勉強している。
だから、日本の人と話をしたい。その代わり、僕はこの辺りをガイドする。もちろんお金は要らない。ただ、日本語の言い回しがおかしかったり、汚い言葉だったりしたらそれを直してほしい。」

特に予定もなかった僕は、彼のガイドでバラナシを回った。まるで、営業マンのようなトーク。切れる事の無い話と、時折挟む気の利いたジョークはたぶん、医大生では無いなって思った。
彼は、古い街とインド人しか来ない野菜市場。死を待つ人の家を案内してくれた。ずっと喋りながら。

その他にも色々聞いた。牝牛は基本的に飼い牛だとか、マリファナは山奥で栽培しているとか、お金が無い人ほど信仰心が強くて、お金をもっているほど信仰心は薄いと。
カーストを超えるのは今でも難しいし、バラナシはインド人の観光客も多いから基本的には、お土産屋は高いとか。シルクはバラナシに限るとか。デリーはウンコだとか。

僕は、カーストについてと、インドの小売について色々聞いてみた、興味深い話だった。

国営のシルク屋に連れて行かれた。見た後、お金が無いって言ったら、問題ないって笑顔で言うシルク屋の親父。

僕は、自称医大生にシルク屋で日本語のレクチャーをした。無職と退職と年金とお口直しの日本語的意味合いについて。

国営の葉っぱ屋があるから見に行かないかって誘われたが断った。インドのエロ本屋とエロ映画館があるけど見に行かないかって言われた。
僕は断った。

なぜかしょんぼりした自称医大生。僕たちは、握手をして別れた。
新ジャンルのカースとかかなって思いながら、いつもの安食堂でターリーを食べながら思った。

テーマ : インド - ジャンル : 海外情報

インド日記 バラナシ2月13日〜2月18日

2月13日

この日は、濃かった。恋鯉故意。

インド人は嘘つきが多い。生活の為に嘘をついて旅行者から金を掠め取る。生活のため家族の為嘘をつき、ガンガーで罪を洗い流す。あほか
僕はそんなに物分りがよくない。糞インド人って何度思ったか。この日のインド人は別物だったのかも知れない

朝6時に起き、日の出を見るため朝靄のガンガーへ向かった。いつものチャイ屋でマサラ入りチャイを飲みながら、日の出を待つ。やはり寒い。

気付ば、太陽はすでに顔を出している。くそ。

僕は、念願の日の出を見ながらipodでブルーハーツを聞いた。なぜか、涙が出た。くそ、やるじゃないかヒロト

ホテルに帰り、屋上のレストランで朝食をとり、なぜか置いてあるバーベル・ダンベルセットでトレーニングをした。

今日はヒンドゥー大学構内にある、何とかってお寺を見に行くことにした。歩いて。インドではホントよく歩いた。
結局2時間ぐらいかけて歩いて到着。大学の門では祭り囃子が鳴り響いていた。
昨日の自称医大生に聞いた話だと、若者による自由恋愛の祭りらしい。カーストによるお見合いからの脱却を願う若者らすぃい。
どこの、国でも同じ。自由恋愛万歳万国博覧会

インドって広いらしい。ヒンドゥー大学構内たぶん東京ドーム20個分ぐらいあるんじゃないかって思った、。

僕は、ひたすら歩いた。何とか寺を目指して。もう、僕の明日は来ないんじやないかって思うぐらい足が痛くなりながら。
致命的な左足小指の豆の痛みに耐えながら。

たぶん大学生だろうインド人男性が話しかけてきた。僕は、この寺に行くんだってガイドブックを見せながら言った。
彼は、「自転車で送っていくから、乗りな」って、サドルとハンドルの間のシャフトを指差した。
インドでは、自転車の二人乗りの場合、日本のそれと違って、運転手の前に乗る。僕は、以前からあれ怖いなって思ってた事を体験する羽目に。

乗っては見たもののめっちゃ怖い。僕は、日本語でなんか叫びながら寺までつれってってもらった。
大学生から英語が喋れるかって質問に、まったく無理って言ったら、「オーマイガッ」って言われながら、めくるめくジェットコースター体験。
寺まで送ってもらった大学生にThank Youって言った。彼は、良い旅をって言って去っていった。ああ、ありがとう僕はあなたの事は一生。たぶん忘れない。たぶんね

こんなに苦労してきた寺は、まったく大した事無かった。僕は、中に入る数ルピーも惜しくなり。近くにあった、チャイ屋でスイーツを食べた。
座っていた、インド人女性が僕を避けるように端っこに移動した。
チャイと揚げたやつを食べ、帰ることにした。たぶん2時間はかけて歩いてきたのに。後2時間は確実に歩くって絶望しながら

ビーチサンダルを買った。58ルピーで買った。僕の左足小指の豆の痛みから解放された僕は、ちょっとリフレッシュした。チャイを飲みながら

ヒンドゥー教徒しか入れない赤い寺を写真に撮り、赤のボールペンを買い、赤い郵便局でエアメールを出した。

ゴードウリャーまで戻ると、人形の山車を先頭に、数組のインド人の若者が自由恋愛の祭りで踊りながら行進していた。
その中の1グループに僕は日本代表として参加した。

たぶん兄弟。僕は、この兄弟からこの人形をガンガーに流すから、一緒に行こうって誘われて参加した。
色々教えてもらった。僕も、恥ずかしながら小躍りしながら行進した。

ガンガーに着いた時、この兄弟の父親に日本の友達だって紹介された。父親は、微笑んで軽く頷いていた。

ガンガーに、人形を流し僕たちは、聖なる河の聖水で足と頭を清めた。日本人の僕は、彼らに促されるまま真似した。

祭りは終焉を迎えた。彼らの家は遠く遠くにあるということだった。僕は、彼らの写真を撮り別れた。

ガンガーで、たぶん5歳ぐらいの女の子が1人で風船で遊んでいた。僕は、一緒になって遊んだ。リバーバレーと名付けた。

僕たちが遊んでいると、いじめっ子の男の子が女の子の邪魔をする。女の子は、必死になって風船を男の子から取り返す。
インド人の青年まで女の子をからかう。どこの国でも同じようだ。

僕は、疲れたから帰ろうとしたら女の子は「10ルピー頂戴」って言ってきた。
僕は、あげないって言ったら「じゃあ、5ルピー頂戴」って言ってきた。
僕は、あげないって言ったら「ケチ」って言われた。ああ、インドだねー。インドは強い国だねー

ガンガーを眺めてたら、サンデーってインド人客引きが声をかけてきた。日本語の流暢な彼。
僕と、サンデーはインドの事、日本の事について20分ほど喋った。彼は、日本人をターゲットに客引きをしているって言ってた。

いつもの安食堂で一番安いターリーを今日も食べた。コック長は、また来たなって笑ってた。

明日は、凧揚げをしよう。


2月14日

最近インドが面白い。やりたい放題だ。

今日も朝6時に起き、日の出を見た。お坊さんが、ベッカムみたいでかっこよかった。

バラナシのインド人は基本的に、スタイルがいい。日本だと1000人に1人居るか居ないかのモデル体形が、10人に1人居る感じだ。

ホテルに帰り、朝飯を食べてお金を払う時点で、昨日お釣りが無いって事で、明日返すって言った13ルピーを含めてぴったり支払ったら。
何言ってる日本人。よく分からないよって顔とポーズを決めるインド人。足りないよ日本人。鏡を見てヘアスタイルを直す。

ん!こいつ、クシミ君の日記に出てきたブロッコリー君じゃないか!って、このとき初めて気づいた。くそ。こいつか。確かに鬱陶しい
僕も、写真を撮ってさらすことに決めた。

今日は、特に予定もなかったので、ガンガーで読書をすることにした。この日は、風が強く、日差しが強かった。
僕は、Tシャツを脱いで半裸になり、沐浴しているインド人の近くで日光浴をしながら本を読んだ。
チリチリと僕の肌を焼く太陽。ああ、このままだと帰国するころにはインド人になっちまいそうだ。特に顔がやばい。
シーブリーズはどうやらインドには売っていないらしい・・・

昼食を食べた後、ガンガーを散歩していたらアーグラーの駅で、ウェイティングチケットの事で知り合った、オチさんと再会。インドでは、色んな人とよく再開した。
オチさんは、子供の似顔絵を書いているようだった。
僕は、2.3言会話を交わして、晩飯の約束を交わして散歩を続けた。

気温も上がってきたので、インド2回目の沐浴を実行することにした。
パンツ1枚になり足からゆっくり沐浴をした。やはり、冷たい。気温は高いが水温は冷たい。ヒマーラヤ山脈の雪解水はやはり冷たい。
頭まで沐浴し、ガートに戻った。寒い。

陽射しが強いこともあり、肌はすぐ乾く。替えのパンツを持ってきていなかったから、乾くまで日光浴をしながら本を読んだ。
欧米人女性が僕を見ていた。インド人沐浴者の気持ちが判った。あまり気持ちのいい気持では無いな。

パンツが乾いたのと、読書にも飽きたので僕はガンガーを散歩した。

同じ場所に、オチさんが座っていた。数人のインド人少年と共に。どうやら、彼の周りには少年が集まるようだった。
キャッチボールするインド人少年とオチさん。横では、クリケットをするインド人少年たち。こういうの、良いね。って、思いながらボーっとした。

客引きの少年と、僕とオチさんで船に乗った。夕方のガンガーは風も無く穏やかだった。
僕は、ボートを漕いでみた。思ったより難しい。オチさんと客引きの少年がボートを漕いだ。やはり、難しいようだ。
この船は、100年前から使っているって言ってた。ホントか嘘か判らないが。だって、インド人はわわわわ

僕たちは、チャイを飲みに行った。ハエが無数に飛び交う店内。すでに、ほとんどの事が気にならなくなってきた。
僕たちは、客引き少年の奢りでチャイを飲んだ。32歳と26歳と15歳。なんだかねー

僕はホテルに戻ると、日本人女性の2人組みがチェックインするから、デラックスルームとシングルルームを交換してくれって。願っても無い事だ。
荷物を纏め、僕はシングルルームに移動した。部屋からは、ガンガーが眺められ、小さなテラスがあり窓にはサルがへばりつく、ライムグリーンの部屋。僕はすぐに気に入った。

オチさんと、僕の行きつけの定食屋で晩飯を食った。オチさんはやたらチャパティーをお替りしていた。

帰り道、僕とオチさんは凧を買った。明日夕方に揚げようと約束をして、僕たちは分かれた。
明日が楽しみだった。



2月15日

僕の旅もこの日で折り返しだ。

今日は9時に起きた。日の出が見られなかった。ホテルの屋上でブレックファースト。日本人女性がやってきた。
僕らは、隣同士のテーブルでちょびっと話した。彼女は、チベットに向かうらしい。バラナシからチベットには交通の便が良いらしく、ここからネパールに向かう人が多かった。
この、女性ともムンバイの街でムンバイ国際空港で2度も再会した。インドでは、いや長い旅では良くあることなのかもしれないが。

朝食後、屋上のバーベルセットでトレーニングしていると、日本人男性のダイスケさんが洗濯物を干しにやってきた。
僕と、ダイスケさんはトレーニングをしながら、インド人のトレーニングを手伝いながら、1時間ほど話をした。
彼は、11ヶ月彼女と旅をしているって言っていた。やはり、ダイスケさんもチベットにこの後向かうらしい。
最近の旅で観光したのは、エジプトのピラミッドか、インドのエローラ遺跡位だって言っていた。あまりにも、長い旅だと観光をする気になれないって言っていた。
ベストは、3ヶ月ぐらいが良いんじゃないかって自分は思うと言っていた。
僕と、ダイスケさんは屋上の陽射しが強いなか、木の台に座りお互いにトレーニングしながら色々話した。

おなかが減った僕は、ベンガリートラのモナリザってカフェで、親子丼とバナナラッシーを注文した。欧米人のカフェだった。
僕のテーブルに欧米人女性2人が相席しても良いかって聞くんで、僕はもちろん良いよ。って答えた。彼女らは笑顔でサンキューって言った。

ビリーって葉巻タバコを美味そうに吸う彼女から、僕の食べている物は何かって聞かれた。僕は親子丼と答えたがよく判らなかったみたいだった。
ぼくは、ライス&エッグ&チキンって言ったら、ああそうって言って、相方と話し出した。彼女は、タバコとチャイを美味そうに飲みながら

ガンガーを適当に散歩して、夕方になったからオチさんとホテルの屋上で凧揚げした。
僕の、凧はちっとも揚がらなかった。見かねたブロッコリー君が僕の凧を空高く揚げた。そして、僕に替わってくれた。
僕は、しばらく揚げていられたが急転直下。あっという間に墜落した。ブロッコリー君が何とか凧を回収しようと努力したが駄目だった。
オチさんの凧もあっという間にぶっ壊れた。

僕は頭にきて凧を4個、更に買った。ブロッコリー君は紐を巻く糸車を貸してくれた。意外に良い奴かも知れない。女の子と、遊びに関しては。

今日は、疲れた。20時には倒れるようにベットに倒れこんだ。


2月16日

目覚めは最悪だった。起きた瞬間体の節々が痛い。昨日の筋トレの影響かと思ったが。。。。風邪だった。

朝食後にガンガーに、日課となった散歩に向かった。やはり体が重い。
ガンガーのほとりにある、石の傘の日陰で本を読んだ。

おかんから、電話があった。源泉徴収表の事でだ。くそ。くそ高い通話料を払うのは僕なんだ。くそ。

インド人ボートマンが話しかけてきた。「船乗るか?」
僕は、ゆっくり首を振った。
いつもの如く、「国は何処だ?これから何処に行く?インドはどうだ?火葬場みたか?」
僕は、脳みそが溶けそうだ。適当に答えた。
「葉っぱいるか?いらん。チョコ買うか?いらん。コカイン買うか?いらん。シャブ買うか?いらん。ちんこまんこ知ってるか?ああ、しってる。」
くだらない会話だった。

「眠いのか?」僕は、眠かった。
「ホテルで寝なよ、日本人」僕は、彼に従うことにした。
「またね」僕は、ホテルに帰った。

ヨーグルト屋で2リットルのボトルウォーターを買い、ホテルに戻った。
ポカリスウェットを作り、風邪薬を飲みPSPと読書をした。

おなかが減ったので、パンとヨーグルトを買いに行く。
1階にチェックインしたばかりの日本人男性に、買い物がてら街を案内した。

ホテルに戻り、パンと水を飲んだ。インドで風邪を引いた時、何を食べればいいのかわからなかった。
ああ、プリンとか御粥とか無いインド。
その、夜は何か変な夢を見た。


2月17日

今日も体調はすぐれない。やれやれ
僕は、インドに来てどうやら便秘になったらしい。よく聞く話、インドではおなかを下すって話とは、間逆の状態。
トイレットペーパーの節約になるからエコロジーって。あほか。僕は、結局一ヶ月で3ロールしか使わなかった。

朝食は、昨日見かけたベンガリートラのモナリザレストランのベジジタブルおじやを食べた。とても、おじやとは言い難いおじや。優しい感じがしたおじや。ビタミンあわわ

体調が悪くなってから、インド料理は食べなくなった。パンとヨーグルトとチーズと米。日本と同じ感じだ。

食事後、アラビア海で泳ぐときに使うであろう、腰布を買いに、いつものシルク屋に行った。いつもの日本人女性がいた。
僕は、散々迷って180ルピーの腰布を買った。ちょっと高い気もしたが、まあ気に入ったから良しとしよう。結局帰国後も使ってるし。

ポカリスウェットをガンガン飲んだお陰か、体調が若干回復してきた。
ガンガーで読書をして、ホテルに帰った。
成田で買ったウイスキー飲み、ポテトチップスを食った。夕日を眺めながら。
ちょっと酔っ払った僕は、ガンガーの夕方のお祈りを見に行った。初めてちゃんと見た。センターのお坊さんがベッカムみたいだなって思った。

ホテルに帰り、ポテトチップスを食べながら本を読んだ。日本のよくある生活とまったく同じだなって思った。
明日には、体調がよくなっていることを祈りながら、ヤモリとモスキートのいる部屋で眠った。

蚊取り線香が欲しかった。



2月18日

バラナシ最終日。
あっという間の11日間。なんで、こんなに日が経つのが早いんだろうバラナシ。

8時に起床してシャワーを浴びる。体調は8割といったところか。
髭を剃り、歯を磨き、荷造りをする。いつも思うが、このチェックアウトってやつがどうも面倒。忘れ物のチェックなどなど。ドナドナ

チェックインしたしてないで、支配人の弟らしき人と揉める。絶対書いたしって、台帳を僕が探したらやっぱりあった。
僕は、読み終わったインド経済の本を弟さんにあげた。僕たちは握手して別れた。この日の夜、計算したらホテル代1日分多く払っていた気がした。くそ

ベンガリートラのスパイシーバイツってレストランで、朝食を食べた。トマトチーズサンドイッチが無茶苦茶うまかった。
もっと、来れば良かったって一寸後悔した。ボーイの男の子に、結局揚げる事の無かった凧を上げた。意外に喜んでいた。

残りの凧は、とおりすがりの男の子と、シルク屋のやたら喋る店員にあげた。

最後にガンガーを眺めたくなって、僕はバックパックを担いでガンガーへ向かった。その日は、晴れ渡った空から、太陽の日差しが僕を強く突き刺した。

本を読んでいたら。悪ガキ三人組がやってきた。たぶん小学三年生ぐらい

彼らはお決まりの「どっから来たの?名前は?写真撮ってよ。つか、カメラ貸してー」みんなで撮ることにした。
「マニーマニープリーズ」ああ、いつものやつがやってきた。インドだなーって思いながら、ぼくは、今日はとことん付き合うことに決めた。

閃いた。金はやらんが、日本の小銭をあげる事にした。1円と5円をあげた。
「もっともっとー」ひつこいなーって、僕は日本語だけ喋りながら、彼らは英語とヒンドゥー語で喋った。なぜか、伝わるもんだって感心した。

「マッサージするからもっとくれー」腕を揉んでくる悪ガキ
「そんなもんじゃやらーん」と、僕も悪ガキの腕と肩を揉み返して、逆に金くれーって言ってみた。
「おしまいじゃーぼけー。もうやらーん」
「あほーもっとくれー、もっとくれー」
壊れたサンタのキーホルダーを差し出し。「これは、ただで上げるから日本のコインくれー」
「いらんし。そんなの」
「いいからいいから。おかねいらんからとっとけって日本人」僕のバックに壊れたサンタのキーホルダーをねじ込む悪ガキ。
いまだに僕のバックには壊れたサンタのキーホルダーが入っている。

また閃いた。僕のバックパックには壮行会でもらった、ちんすこうが入っていた。
「いいものやろう。これは、ジャパニーズフェーマスフード、ちんすこう。一人1個やぞー」って。
あげた瞬間に食う餓鬼。ポケットにねじ込む餓鬼。いろいろ、個性が出ますな。
「もっとなんかくれー、日本人なんかくれー。金くれー」「うるさーい」

ポストカード売りの女の子がやってきた。
「カード1枚5ルピーで買ってー」

なんか、4人の餓鬼んちょに囲まれ訳わからん状態になってきた。僕は、1枚5ルピーだと買う気があったから女の子のカードを見た。
4枚で20ルピー支払うと、少年たちが「あーそうだ、この女の子にもジャパンマネーあげてー。あげてー」
「ガーわかったわかった、やるやる持ってけー」少女にあげた瞬間、3人の餓鬼も「もっとくれーもっとくれー」

サドゥー(出家遊者ってガイドブックに書いてあった)の偽者っぽいのと、本物っぽいのにも囲まれ、ぼくは何かの見世物みたいだった。

全員黙れーって思いながらも、餓鬼んちょ3人組を筆頭に「なんかくれー、サドゥーにもお金上げてー。僕らにもお金ーくれー」

もう、うっとうしいから目いっぱいあげて「これで終わりやーボケー。フィニーッシュ。終了ー」

サドゥーが「これ、何ルピー」って聞くから、「100円やって」言ったら、少女が適切なルピーの額を説明して僕に「うそつきー」みたいな事をいった。

とりあえずは騒ぎは収まった。餓鬼んちょ3人組と、カード売りの少女を残して。
たぶん、さっきのお金の事でだと思うが、カード売りの少女が、僕に何かを言い出した。のべつ幕無く、まくしたてる。たぶん悪口

僕と悪がき三人組みは、少女の勢いに押されて、黙ってしまった。一人ヒートアップして、まくしたてる少女。
言ってる言葉は分からなかったが、唯一分かった単語が、「クレイジー」僕は、あんだーこの餓鬼って思った。

「クレイジー。俺がクレイジーって事か?」そう聞くと、少女は「お前はクレイジー、クレイジー」

たぶん20回ぐらいクレイジーって言われた。なんでやねんって思い、悪がき三人組に「なんで、俺こんなんいわれてんねん」って聞いたら
「あいつがクレイジーなんだよ。気にしなくていいよ。こんなやつほっといて、良いとこ行こう」

僕と、悪がき3人組はその場を後にした。それでも、少女は僕に向かって「クレイジー」って言ってた。なんでやねん

悪がき3人組と別れ、ガンガーに戻り本を読んでいたら、風船売りの餓鬼んちょがやってきた。
「今何時ー?」「15時半」「ふうせんいるー?」「いらんわ」「じゃあ、遊ぶー?」「いや、本読んでるし」

今日は、やたら人気者らしい。

やたら、日本語の達者な客引きがやってきた。後でやってきた大阪出身の女の子と客引きと3人で話した。女の子と客引きは面識があるらしい。

バラナシの客引きの仕組みが分かってきた。
ただ、客を紹介して25%をもらう客引き。日本人に友好的に接して、土産物屋で日本人コミュニティーを作り安心させて販売する客引き。
たぶん、両方ともぼられている。わからんが。
商売だから、サービス料という、無料ガイド情報と日本人コミュニティーという居心地が良い場所を提供する後者のほうが、幾分かは良心的だろう。
これで、地球の歩き方に掲載されれば、ほっといても客が来る店になるだろうし。

結局、紅茶の屑葉を180ルピーで購入して、メグカフェで中華丼を食った。日本人で、調理師免許を持っている彼女の作る中華丼は、日本で食べる中華丼より美味しい気がした。
ナチュラルで美味しいと思った。

夕方になったから、駅に向かった。目的の、駅周辺のホテルが見当たらなかった。1時間ほどバックパックを担ぎ彷徨ったが、つぶれたのか僕が見落としているのか分からないが、やたら高そうなホテルしかなかった。

僕は、あきらめて駅のリタイアリングルームを目指した。ドミトリーで1泊50ルピー。完全なる予算内。

広い部屋には、ベッドが12個。鍵付の荷物入れもあった。インド人が3人寝ていた。シャワーはあきらめて寝ることにした。

さあ、明日からはブッタガヤ。お釈迦様が悟りを開いたといわれている、菩提樹がある街。
ぼくは、興奮したのか初めてのドミトリーで緊張しているのか、その夜はなかなか寝付けなかった。

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インド日記 コルカタ初日

2月22日 コルカタ初日

起きると、物置だった。まあ、。当たり前か。
時間は朝5時。あー思えばこの時から、トラブルが始まっていたのかもしれない。

おやじに、100ルピー支払いドミトリーのトイレで顔を洗い歯を磨いた。
たぶん警官だと思うが、2人居た。彼らは、なぜか、ズボンを脱いだ状態で、トイレに行き歯を磨いていた。これが、インドスタンダードなのだろう。

ガヤのプラットフォームは、簡単に分かる。だって、プラットフォーム少ないから。
僕は、チケットとタイムテーブルを見合わせて、柱の下に腰掛けた。
列車の時間は6:30発だが、たぶん来ない。それは、容易に分かる。これが、インドだろう。

ガイドブックとインドで読んだ本に書いてあったが、インドを1回旅行したからってインドを分かった気になるのは間違いだ。って
たぶん、そうだろう。僕が訪れた街だって、それぞれルールみたいなものも違ったし、人の感じも違った。
インドは日本の数十倍の面積を持っている、多宗教の国。日本だって、沖縄と北海道じゃ全く違うし、それの何十倍なんとかかんとか
だから、今回沖縄に行く。

そんなチープな言い訳で、僕は沖縄に行く。言い訳はいいんだ。ただ、行きたかったから行く。閃いちゃったんだもん。

(※この辺までは、沖縄行く前に書いていたもので時系列がおかしいです。)

プラットフォームで佇んでいると、中年の白人女性が近寄ってきて、何かを僕に話しかけた。
あーごめんよ。僕の英語能力じゃ全くあなたの力にはなれないのだよ。彼女も、それを感じ取ったのか僕に「ソーリー」って、はにかんで去っていった。
僕の方こそ「ソーリー」くそ。なんとなく、列車の事で相談されたのは分かったんだよ。くそ

柱の下で、再び佇んだ。空が白くなって、太陽が日差しを運んできた。この日も、若干の靄がかかっていた。

インド人の親子が、僕の座っている柱に腰を下ろした。父親と息子。

インド人の息子が、「日本人どこ行くんだ?」

「ああ、コルカタだよ」

「そうか、じゃあ俺の親父とセイムだからよろしくな」

セイム?つまり行き先が同じだからよろしく?ってことか?そう言い残して息子は去っていった。
残された、親父と僕。まあ、よくわからんが「よろしく」って僕は親父に言った。
親父は笑顔で、「ああ」って言った。
親父と僕は互いに片言の英語でコミュニケーションをはかる。

「どっから来た?」

「TOKYO」

「いい街だ」

インドで、何十回同じ会話を繰り返したか数えておけばよかったな。

「息子は、日本に行ったことがある。東京と横浜と大阪」

インド人は嘘つきだ。これは、間違いようが無く事実だ。きっと、この親父の発言もきっと嘘だ。
だけど、コミュニケーションを大切にしているって、考えればどうだろう?きっと、国民性なんだろうけど、インド人のコミュニケーション能力は半端ない。どうせ、二度と会うことの無い無害な日本人相手に、嘘ついてまでコミュニケーションを取ろうとするインド人。
それほど、彼らの中ではコミュニケーションが大切なのかも知れない。
嘘つかれると腹立つけど。

相変わらず列車は来ない。

南下してきた影響で、蚊が多くなった。つまり、気温が夏になってきたって事。
そして、プラットホームにおいても影響する。僕は、ジャンボからもらった蚊取り線香に、ガヤで買ったライターで火を付けた。
親父は、「GOOD」って親指を立てた。

インドの列車は遅れる。これが定説だ。定説って、どっかの誰かが言って一時期流行ったな。まあ、どうでもいい事だが・・・

2時間30分押し。これくらいがインドスタンダードだろ?マハトマガンディー?

ジャンゴ出ていた、伊勢谷なんとかって俳優が気になったんで(かっちょ良いんですわ)、検索してみたらブログにインド日記を書いていた。彼も、インドに行ったらしい。それは、僕のウンコインド旅よりかっちょよく旅をされていた。うーん、この違いってなんでしょう?
インド来てんじゃないの?シンクロか?またー

列車ナンバーは違った?インドでは、列車のナンバーが重要になる。まったく持って、ヒンドゥー語なるものが公用語として憲法に制定されているから。基本は、ヒンドゥー語。僕たち、外国からの旅行者はまず読めない。列車ナンバーで判断するわけだ。
しかしこの列車行き先に「KOLUKTA」って書いてある。

僕は「うーん、どうだろう?」って、独り言を呟いていた。

とにかく確認せにゃ話にならんと、プラットフォームを歩いていたインド人に、チケットを見せながら聞いてみた。
すでに、列車は動き出していた。

インド人はチケットを見ながら列車を見た。「うん、この列車だよ」って、言うと去っていった。

僕は、くそ思いバックパックを揺さぶりながら列車と並走しながら近づいていった。
開いていた入り口の手すりにつかまり、インド人がやっているように列車に飛び乗った。

やれやれ、これでひとまず安心だが僕のシートが分からん。まったくもってやれやれ。
入り口にいた大柄で髭のはえた乗務員らしきインド人にチケットを見せながら、「シート何処?」って聞いた。
彼は、チケットを見ながら「この車両はNO.4だ。お前の車両はNO.7。だから、3つ向こうの車両だ」

「ああ、ありがとう」って僕は言った。

「いいか、3つ向こうだからな。この車両はNO.4。いいか、日本人NO.7だぞ」

地球の歩き方には、列車内の移動は出来ないみたいなことを書いてあった。しかし、ラッキーなことに移動できた。
山手線の車両移動するときより簡単に移動出来た。

僕のシートには、雌豚が座っていた。いやいや、雌豚のようなインド人。ん?インド人のような雌豚。まあ、どっちでも良いや。
僕は、チケットを豚ちゃんに見せて「ここ僕の席」って言った。
豚ちゃんは、「あっちの窓際の席あいてるから」って、「窓際の良い席だろ?」って、指差した。

僕は、言われるがまま窓際の席に座った。僕のシートは3人がけの真ん中だった。それが、一人がけの窓際になった事はむしろよかったから。
郷にはいれば郷ひろみ。まあ、結果オーライなのだって、言い争う勇気が無かった自分に言い訳しながら、車内販売のサンドウィッチを食べた。
食後のチャイを飲んでしばらく車窓を眺めていた。到着予定時刻は夕方だった。およそ、9時間の列車の旅。
車窓からは、永遠に続くかと思うほど、田園風景が続いた。見ていても、つまらんが他にすることも見つからなかったし、昨晩の睡眠がやはり物置だった事もあり、眠くなってきた。

僕は、上の寝台に登り暫く睡眠をとることにした。

1時間ほど寝ただろうか?喉が渇き目が覚めた。昼ぐらいだった。僕は小腹がすいたので、昼食を食べようと下を見た。
さっきの豚ちゃんが、おっさんと僕の席で飯食ってる。あー、今日の因縁の豚ちゃん。豚を食べない豚ちゃん。怠惰と豚ちゃんは良いのかヒンドゥー教?もう、ホントこいつのおかげで今日が最悪になるの巻き。

僕は、飯食べ終わったら移動するだろうと、たかをくくり本を読みながら昨日の残りのビスケットを水で流し込んだ。
暫く、横になっていたが食べ終わっても移動する気は毛頭感じられない、豚ちゃん。チャーシューにしてやろうかと思ったが、誰も食べないだろうと却下。
3列シートに一人しか座っていなかったので、僕は通路側に座った。豚ちゃんは、窓の外を見ながら何か食べていた。

暫くすると、3列シートの窓側が開いたので僕は、荷物を持って窓際に移動した。暫くは平和が訪れた。暫しの平穏。

気がつくと、僕の対面に豚ちゃんが座っていた。僕のシートに足を投げ出して座る豚ちゃん。まじファックなんですけど。
豚ちゃんは、事あるごとに僕の足を蹴ってくる。初めは、しょうがないと思っていたが、これって故意にやってんのかぁーって思うほどの頻度。もう、それからは当る度に「グァーヴ」って、なんか唸ってみた。
豚ちゃんは、怪訝な顔してこの日本人頭おかしいんじゃなのって顔で一瞥するのみだった。

豚ちゃんの息子を紹介しよう。豚君。小学4年生ぐらいだろうか?典型的な、甘えさせて育てられた豚君。なんか、甘いもの食べてれば機嫌が良い豚君。あと少しで糖尿病の豚君。自分より強いヤツは、いないって思ってる豚君。誰にも怒られた事無い豚君。

豚君、僕の横に座るの巻き。
豚君だけあって、絶えず何か食べている。お前の脳みそ糖分なくなったらとまるんじゃ無いの?ってぐらい食べる。
与える豚ちゃん。食べる豚君。もう、共食いしなよってぐらい食べる。豚ちゃんのバックはドラえもんのあれと見間違うほど物が出てくる。チョコ・卵・チップス・クッキー・りんご・みかん。豚ちゃんと豚君は食べてないと死んでしまうのか?
車内販売が通る度に、豚ちゃんは買いまくる。与えまくる。もう、脳が依存症になってるんじゃない?
キューリやらスナックやらチャイやらチップスやら食っては、僕の隣のシートで暴れる。豚が暴れるとシートがゆれる。ちょいちょい豚君に蹴られる。
豚ちゃんは、豚君の暴れている姿をみて元気でいいわねーって、顔で豚君を眺める。
僕は豚君に視線を向けた。豚君は、豚ちゃんにくっつき抱擁しだした。もう、意味が分からん。豚じゃん。もぅ、ポークじゃん。
まとめて、ガンガーに沈め。

インドにもオカマは存在する。カーストがあるらしい。ネットで調べたら、縁起がよいらしい。結婚式とかに現れてみんなで施しをするみたいだ。

列車の中に現れるの巻き。
それは、唐突に現れた。列車の通路から現れたオカマちゃんは日本のニューハーフとは違って、色物ってかゲテモノ。
特に、ホルモン注射とか性転換とかしてるわけじゃなくて、中年のおっさんが趣味で女装している感じ。
インド人は、色黒。インド人男性は筋張っている。目つきは鋭く、髭も生えている。ただ、しぐさが妙に生っぽい。
もう、なんやねんこの列車。まじ、腹立つわ。って、豚ちゃんとの攻防でヘベレケな僕に新たな敵が現れた。くそ

インドのオカマは縁起が良いらしく、豚ちゃんを初めとしてインド人はテンションが上がった。豚ちゃんはチップなのだろうか、数枚の紙幣をオカマちゃんに渡した。インド人男性はまんざらでもなさそうに、オカマちゃんと抱擁をしている。
僕の、隣にもオカマちゃんが座り施しを求めてくる。
鬱陶しいったらありゃしない。僕は、シカトし車窓を眺めた。
オカマちゃんは、ちょいちょい僕の腕を触ってくる。
ぼくは「グガァー」って、オカマちゃんを威嚇した。
オカマちゃんは、「あら、この日本人。照れちゃってカ・ワ・イ・イ」みたいな感じで腕を組んでこようとする。腹立つわー
ぼくは、腕を振り払って車窓をガン見した。
そんな、中でも豚ちゃんファミリーはテンションあがりっぱなしで、相変わらずチップをはずんでいた。
その様子に一瞥くれた僕に対して、オカマちゃんチップを求めてきた。
「まじファック」って、言っていた。

もう、全員まとめて東京都指定の半透明ゴミ袋にいれてガンガーに流す事決定。今後のインド発展の為、僕がやってやろう。

気がつくと車窓から原子力発電所と工業地帯が広がっていた。工場から伸びている数十本の煙突からは黄色や赤色の煙が吐き出され、原子力発電所からは水蒸気が壮大に吐き出されていた。

インドの空は真っ青に晴れ渡ることはなかった。季節的には冬にあたるから、真夏のような晴れわったった空はもともと期待出来ないのかも知れないが。
僕は、砂漠の砂嵐と自動車の排気ガスのせいだと思っていたけど、きっと工場とかの影響もあるんじゃないかって思った。この後、コルカタからムンバイまで飛行機で移動したのだが、インドの空はスモッグで覆われていた。
窓際に座って一日中風に当たっていたおかげで、その日のホテルでのシャワーの泡は黒かった。イカ墨入りの石鹸で洗ったかの様な黒さだった。

あたりが薄暗くなるころ列車は、速度を落としてきた。毎度、列車の降りるときがいつも緊張する。だって、駅名が分からないから。
しかし、今回は終点だった。全員で下車。豚ちゃんファミリーも全員降りた。

僕は、重いバックパックを背負いプラットフォームを抜け、タクシー乗り場に向かった。振り返って駅を眺めると、暗闇のなか駅名に「KOLKATA」と、書いてあった。何か、いやな感じがした。僕は、地球の歩き方を開いて地図を確認した。ガイドブックには、「ハウラー駅」からどうのこうの・・・

ん!

ん?

間違えている。くそ。くそ。くそ。ガイドブックには、「コルカタ駅」のことなんて何も書いていやしない。駅前に親切に地図なんておいてある日本じゃない。ここは、インド。くそ
しかし、致命的に遠くは無いと思う。だって、僕が、目指していたのは「コルカタのサダルストリート」
きっと、そんなに離れては居ないはず。とりあえず、今夜の宿でシャワーと飯を食べたかった。今日は、朝からサンドイッチとクッキーしか食べていない僕のお腹は、背中とくっ付きそうになっていた。

ガイドブックに、オートリクシャーは市内には入れないと書いてあった。僕は、一応値段の安いであろうオートリクシャーの運転手に声をかけてみた。やはり、サダルストリートまでは行かないらしい。そんな、交渉をしている間にタクシーの運転手数人に囲まれていた。いつものことだ、いまさら驚きやしない。

タクシー運転手に交渉するも、どいつも謀ったようにサダルストリートまで250ルピーだと。くそ。今日の列車代金より高いタクシー。くそ
交渉するも、10ルピーのディスカウントしか出来なかった。
初めて乗る、TATA製アンバサダーの乗り心地はサスペンションが柔らか過ぎてシートもマットレスの様な素材だったから、ふわふわした感じだった。乗り物に弱い人だったら一発で酔いそうな感じ。

渋滞の道、運転手は窓から隣の車に道を確認しながら走る。また、他の車から道を聞かれる。こんなの日本だったらありえない。これがインドスタンダード。コミュニケーション能力が高いってことか?
走るアンバサダーの中から、町並みを見た。今までの、インドとはまったく違う。何が違うか?それは、都市だった。近代都市。
日本や欧米やヨーロッパのように洗練された街ではないが、れっきとした都会の匂いがした。それは、なにかどことなく懐かしい感じがした。
僕は、インドの旅でいわゆるインドらしいインドの街を旅してきた。きっと、インドに行ったことない人が写真を見るとインドって分かる街。そして、コルカタはインド第二位の経済都市。たぶん、東京を思って懐かしく感じたのだろう。僕も、都会人になったってことだ。

相変わらず、混沌とした交通渋滞と喧騒を抜けてサダルストリートに到着した。時間は、20時。今日は、観光はあきらめるしかない。
僕は、ガイドブックに乗っている「ホテルパラゴン」を目指した。以前、何かのドキュメント番組でサダルストリートとホテルパラゴンの特集をやっていた。テレヴィジョンで見たサダルストリートの道の真ん中を何かの工事で掘り返していた。
迷いながら、パラゴンについた。伝説的日本人宿だそうだ。何の伝説なのか分からないが、多くのバックパッカー達の聖地になっているような感じ。よく分からん。

僕は、ドミトリーを希望した。一泊90ルピー。若干高い。インドでも言える事だが、都会になるほど物価は高くなる。この後行く、ムンバイはさらに物価が高かった。おかげで、予定にないキャッシングを行う事になった。

僕の案内された部屋は、入って一番手前の部屋の入り口に一番近いベッドだった。このころになると、チェックインの仕方も手馴れてきた。台帳に、パスポート記載事項・ビザナンバー・入国地・前宿泊地・次の行き先地・国籍・などなどを記入するのだが、初めのころは何がなんだかわかりゃしない。僕は、ベッドに荷物を広げ取るものも取らず、ガイドブックで調べた近くのブルー何とかってレストランを目指した。時間は、21時近かったが流石に大都市。深夜でも人通りは多いし、照明がこうこうと照らされ道は明るかった。
何しろ初めての街で夜だと、土地勘がまったく分からない。キョロキョロしながら歩いていると声を掛けられた。
インドで声を掛けられるってのは別に珍しいことではない。むしろ、日常的だ。しかし、今宵は今までとは違った。相手が、日本人だったのと、面識があったってことだ。しかも、2人。
大学生4年のタカチオ君とサカガミ君だった。サカガミ君は、バラナシ最終日にお土産やで10分ほど会話したことがあった。タカチオ君は、ブッタガヤでの最終日に座禅を組んでいた時に隣に座っていただけで話もしていない。それぞれ、一人旅同士でまったく違う場所であったにも関わらず、コルカタのサダルストリートでの再開。これも、何かのシンクロニシィテー。しかし、インドではよくあることのようだ。

僕たちは、再会をなにかのお祝いの様に喜んだ。しかも、泊まっているホテルすら同じだった事でお祭りのように僕たちはなったサダルストリートの日本人。部屋は、残念ながら違ったが後で話そうと約束をして、僕はレストランに向かった。彼らは、すでに僕が向かっているレストランで食事を済ませた帰りだったからだ。

ブルー何とかって、レストランに入るとそこは欧米で満席に近かっただった。欧米人しか居ない店内に、インド人のウエイター。まるでインデージョーンズに出てきそうなシチュエーション。僕は、白人の爺さんと相席になった。白ひげをたくわえた爺さん。

僕は、バナナラッシーとミックスフライドライスを注文した。ばなならっしーって言いにくい。
コルカタのサダルストリート周辺は、インドで唯一中華街のある街。だからだろうか、このとき食べたミックスフライドライスの美味しいこと美味しいこと。日本で食べるチャーハンより美味しい気がした。ちょっと、涙が出そうになるくらい美味しかった。

僕は、この日朝からサンドイッチしか食べていなかったから、ミックスフライドライスだけではとてもじゃ無いがお腹いっぱいにはならなかった。メニューを、カウンターから取り追加注文をした。ミックスフルーツプディング。食後のデザートを洒落込もうとの魂胆。
このころになると店内は、やたら込んできた。相席だった白ひげの爺さんはとっくにチェックを済ましていた。4人がけに1人の僕のテーブルに4人が座るからって、中年白人女性のテーブルに移動して相席になった。まあ、気にはしない。僕は、白人女性に微笑んだ。彼女も微笑んでから、メニューに視線を戻した。

出てきたミックスフルーツプディングは、吉野家の並盛ほどの大きさがあった。僕は、何じゃこりゃーって思いつつ、丼にスプーンを突き刺した。

僕が間違っていたんだろう。プディングに対するイメージを。

それは、熱々のとろっとろのカスタードクリームにフルーツが投げ込まれたものだった。それは、くりーむしちゅうと見間違うかの如し。

ぼくが、間違っていたんだろ?

相席の中年白人女性からの視線を受けながら、胃に流し込むようにたいらげた。もはや、ジャンボ白田。大食い選手権になりそうな勢い。
インドでは、小食になりつつあった時にこの量は、胃が裂けそうになった。

ドミトリーのベッドに戻り、僕はお腹が落ち着くまでしばらく座っていた。
シャワーを浴びると、泡がイカ墨のようになった。シャワーを浴びて歯を磨き、ホテルの中を歩いてみたりした。
気がつくと、このホテルは日本人だらけだった。ギターを持った20台半ばの日本人男性が同室だったので話してみた。彼とは、気が合いそうに無かった。ちょっと話して、僕はタカチオ君の部屋に向かった。しかし、やたら大人数で話し込んでいる部屋だった。僕は、入るのを躊躇して屋上に上って、月を眺めた。上野の何とかってアイリッシュパブに入るときのほうが緊張したなって思いながら。

中庭では、さっきのギター侍が5人ほどの日本人大学生らしき集団と、僕の部屋の前の会談で談笑していた。やれやれ、帰るに帰れやしない。幾分かましになっていることを祈りながら、僕はタカチオ君のいる部屋に入った。そこには、4人の日本人男性と1人の中国人女性がいて、何かを相談していた。僕は、タカチオ君とサカガミ君とで今までの経緯を話した。彼らは、たまたまこの部屋で一緒になったから、たまたま一緒に食事に出ていたらしい。どうやら、ここで何かが繋がったらしい。
タカチオ君は大学4年生で熊本県出身で実家のお寺を継ぐらしい。だから、ブッタガヤで座禅を組んでいたようだった。サカガミ君は、どっかの大学4年生。なんとなく、たよりなさそうな感じだった。
僕は、しばらくあれやこれや話しながら、中国人女性の明日の飛行場行きの相談とかに混ざりながら、くだらない話をした。
しばらく話していると、眠くなったので「おやすみ」を言い、ベッドに戻った。

部屋に帰ると、30台後半の日本人男性がベッドでビールを飲んでいた。僕は「こんにちわ」って言って、寝る準備をした。
ベッドに腰掛けて、しばらく話した。彼も、僕と同じような経緯で旅をしているらしい。
僕は、いつも聞くことにしている一番よかったところを聞いてみた。そうすると、彼はアンコールワットがよかったと言っていた。
行く気は、無かったらしいがたまたま一緒になった日本人女性と行ったらしい。
僕たちは、1時間ほど喋った。そうしているうちに、欧米人女性が部屋に入ってきた。どうやら、同じ部屋らしい。
僕は、出入り口に向かって話していた。彼に促されるまま、後ろに振り向くと彼女はジーンズを脱ぎスエットに履き替えていた。
つまり、パンツになっていたってこと。ここまで、文化の違いがあるのかって彼と話した。日本人である僕たちが、逆に恥ずかしくなる感じ。彼は、それでもガン見していた。たぶん、ビールを飲んでいたからだろう。そういうことにしておいてくれ。
彼女は、ドイツから来たって後で聞いた。彼女のパンツは3Lぐらいだった。

僕がストレッチしてたら、彼女に笑われた。僕の隣の黒人の男性と彼女はしゃべりながら。

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インド日記 コルカタ最終日

さあ、2日目いってみよ。



2月23日 コルカタ最終日

時間は朝5時30分。
僕の携帯が朝を告げる。あーくそ、昨日の設定のまま寝ちゃったらしい。体調もあまり優れないので、2度寝する。
ごめんよ、みんな。こんな、朝早くに起こしちゃって。

時間は8時。
あー、ドミトリーでも熟睡できるもんだ。まったくもってぐっすり寝た。心なしか、体調も良い気がした。
僕の部屋の宿泊客は、6ベット中3人がまだ寝ていた。それで、起こさない様に行動しながら、顔を洗い歯を磨いた。

チェックアウトの時間は、10時。荷物をまとめようか悩んだが、先にブレックファーストを取ることにした。
行き先は、昨日のブルー何とかってカフェ。
カスタードプリンで散々な目にあった感があったが、インドで僕の行ったカフェの中では旨いほうの店だった。

明るいサダルストリートは、上野アメ横を思い出させた。いや、インド自体がアメ横を彷彿させるって言ったほうがぴったりくる。

ブルー何とかってカフェは、相変わらず欧米化していた。しかも、相変わらず満席に近い。僕は、韓国人らしき2人組みの横に相席した。
チーズトマトバーガーとバナナラッシーを食べた。
周りの欧米人を見回すと、トーストとパンケーキみたいなやつをみんな食べていた。欧米人は、どこに行っても自分たちの食スタイルを変えないのだろうか?とにかく、パンとフライドポテトとチキンとケチャップが彼らのキーワードに思えた。

朝食後、チェックアウトまで時間があったので散歩をした。インターネットカフェは閉まっていたっても、ひとつの理由だが。

特に行きたいところも無かったので、近くにあるニューマーケットを見学しようと思った。
しかし、閉まっていた。まあ、そいだよな。日本だって、マーケットが開くのは、10時とかだもんな。
歩いていたら、昔日本でもあったらしい、氷屋が氷のブロックをトラックから引きずりおろしていた。へーって、感心しながら見学した。

仕方ないから、メインストリートのチョウロギンストリートを確認してぐるっと回ってホテルに帰った。
そのころには、寝てるのは一人だった。ギターの青年だ。彼は、昨日深夜遅くまで、数人でビートルズを歌っていた。

バックパックに荷物を詰め、トイレに向かった。すると、ブッタガヤで見かけた大学生に遭遇した。
「こんにちわ」って、僕が言ったら
「あれ、ブッタガヤに居ました?」
「あー、座禅だ!」
「なんか、ここのホテル日本人が多いみたいで、ガヤであったもう一人と、バラナシであった大学生がとまってるんですよ」

彼は、今朝コルカタに到着して今チェックインしたとこらしい。手と顔を洗いながら、僕と話していた。
彼は、僕の荷物を預かってくれるって言ってくれた。
つまりは、こうだ。僕は、この後10時までにチェックアウトする。しかし、飛行機は明日の早朝。だから、今日は唯一のコルカタ観光。バックパックを担いで観光する気だった。それを、ベッドに置いてて良いって言ってくれた。僕は、それに甘えることにした。

彼の(名前聞くの忘れちゃったんだよな)ベッドの下に僕のバックパックを入れてお礼を言った。
彼は、一休みして観光するらしい。

僕は、チェックアウトをしてネットカフェに向かった。ネットカフェは、目茶混みだった。いわゆるベリービジー。くそ
しかたがないので、待つことにした。日本人と欧米人のみの店内。10台ほどのPCが並んでいた。ネットワークもベリービジーらしく、みんなしかめっ面しながらPCに向き合っていた。しばらく待ってぼくも、PCに付いたが、やたらリンク切れする。もう、どうなってるんだか。
必要な情報は手に入ったので、ネットカフェを後にしてメトロの駅を見学しに行った。チケットは窓口で買い、改札はディズニーランドみたいな自動だった。地下鉄に乗る気は無かったので、地上に出てマトンバーガーがあるって噂のマクドナルドへ向かった。

時間は、昼前。地球の歩き方片手に、地球を歩く僕。

昼間なら、ほぼ迷わずに目的地に到着する僕だったが、マクドナルドは発見出来ない。ガイドブックは、必ずしも正確では無いのはこの旅で、おおよそ把握したからどうって事無いやって、歩き出そうとした瞬間、黄色いMが僕の視界に入った。
しかし、黄色いMのみ。残りの赤い部分は工事中のシートの後ろに隠れていた。
くそ、修繕工事中らしい。シートをめくって覗き込むと、埃っぽいなかマクドナルドの面影はまったく見受けられなかった。

僕は、あきらめてガイドブックを眺めた。近くに、ケンタッキーがあるらしい。僕は、昼飯をケンタッキーにするべく歩を進めた。

ケンタッキーはすぐにわかった。日本の、いや米国のあれとまったく同じだ。むしろ、本国より綺麗かもしれない。その、理由は利用してわかった。

英語力に自信のない僕は、ジンジャーチキンのセットを購入した。店員に何か言われたが、僕は「ヤー」って言った。セットの値段は169ルピーだった。今泊まっているホテルの2日分以上。どんだけ高いねんって!
トレーを見ると、コールスローサラダが付いていた。ああ、これのこと言ってたんか!って気づくが後の祭り。僕は、あまりコールスローサラダが得意ではない。

時間は、12時。広い店内には、韓国人旅行者の4人が奥の席に座っていて後は、インド人の若者が6人ほどいた。やはり、この値段でランチって訳にはなかなかいかないよなって思った。これランチで食ってるインド人の収入って中産階級以上だろうな。しかし、女子校生みたいなやつしか居ない。インドがよく分からん

韓国人グループの一人が僕のテーブルに近づいてきて「どこから来ました?」って日本語で聞かれた。
僕は、「東京」って答えた。
彼は、「僕は、韓国人です」って、微笑みながら日本語で答えた。
彼の、残りのグループの若者たちも笑いながら見ていた。

しばらくすると、店員のおねーさんがお客様アンケートを持ってきて、「ご協力お願いしいます」みたいなことを言った。
僕は、ハンバーガーを食べながら、アンケート用紙を見た。もちろん英語で書いてある。なんとなく分かるが全部は把握出来ないなーって。うん、ハンバーガの味は、あーこれね日本で食べるそれと変わりない。あー違う、米国のとい一緒だった。そう、米国本店の味そのものと言っても過言じゃない。マックの方が、その国の地域性を考慮している気がした。なんにしても、米国の会社は海外進出しても米国色が強い気がした。それが、強みになっているんだろうが。日本企業は、果たしてどうだろう?その国になじもうとしているのか?まあ、分からんがインドに置ける車の日本メーカーは、インド人に主導権を渡している気がした。そうして、成功しているスズキとホンダ。
海外にいても、同じ味で食べたれるってのはうれしいことだが、相当強気な企業気質じゃないと難しい気がする。それを、こなしているスターバックス・マクドナルド・ケンタッキーフライドチキンあたりは、流石だよね。

僕は、電子辞書と格闘してアンケートを書いた。店内の美化とか、そんな類の設問。スタッフは、やたらにテーブルなどを磨いていた。見回してみるとピッカピカな店内。おおよそインドとは思えない綺麗さ。インド人は、おおよそその機能が損なわれていなければ特に気にしない気質。それが、ケンタッキーは違う。幼い子供が来たとたんに、スタッフは風船を持って手渡す。食べ終わったのを見計らって、トレイを下げに来るスタッフ。セルフサービスでは最早ない気がした。徹底した、カスタマーサティスファクションの向上。うーん、頭が下がります。
僕は、食べ終わってレジの写真を撮ると、入り口ではスタッフがドアを開けてにこやかに待っていた。インドで、こんなサービスを受けるとは。僕も、笑って「サンキュー」って言って、ケンタッキーを後にした。

さて、次の目的地はCITY BANK。インドで4度目のATMによるキャッシング。もう、この時点で予算オーバー。ちょっと、インドなめてました。このころになると、ATMの使い方もこなれて来てスムーズに1万円分のルピーを引きおろした。

僕は、その足で特に観光スポットの豊富では無いコルカタで目を付けた、プラネタリュームに向かった。
何故インドでプラネタリューム?と疑問をお持ちの方も居るとは思いますが、コルカタは大都市なのです。日本で言うなら大阪的な存在。東京的な存在はムンバイ。大阪なら、大阪城であったりを観光するのでしょうが、ことインドは広大なのです。1日しか滞在しないムンバイでは行動範囲が小さくなってしまったのです。たぶん、もっともメインの観光スポットになるであろう施設も実は、あるのです。
それは、マザーテレサハウス。「神の愛の宣教者会」の設立者。ノーベル平和賞受賞者。一方僕は、「死ね死ね団設立メンバー」習字で佳作受賞者。もう、うんことフォアグラほどの違い。
まあ、よく分からんが、そんな理由で行っても場違いになるだろうって、行くことを却下。なんか、ボランティアでインド来た訳じゃ無いしな。ボランティア精神に心打たれて活動中の方、頭が下がります。とても、僕には出来そうにありません。ピチピチの女の子がたくさん居るなら行きますが。。。

さて、僕は一人でプラネタリュウム。これも、どうかと思うが。。
入り口にいた、係りのインド人が僕を見つけるなり物凄い勢いで手招きする。「早く早く、英語の回が始まる。早く、20ルピーだ。走れ、日本人」
僕は、別に英語だろうとヒンドゥー語だろうと、ベンガル語だろうとまったくもって同じだ。だって、聞いたって分からないし。

さて、ここでベンガル語が出てきました。ちょっと触れておきますと、インドの公用語はヒンドゥー語。これは、憲法によって決まっているらしい。補助公用語として英語。でも、インド亜大陸は広大。北と南じゃ文化がまったく違う。首都は、北部のニューデリー。ここら辺は、アーリア人が多く言語もヒンドゥー語。一方、東部にあるコルカタはベンガル人が多いため、ベンガル語のほうがよく通じたりする。
今まで見てきた、スタイルの良いインド人はアーリア人だから、東に来るとベンガル人が多くなるから、どこと無く日本人に近いアジア人特有のスタイルに様変わりする。僕は、南部には行かなかったが、南部はヒンドゥー語がまったく通じない地域もあるらしい。海に囲まれた南部は外国からの侵略を受けないので、元々インド大陸に住んでいた人種が独特の文化と言語を形成したらしい。

あらら、なんか話が飛んだ。まあ、プラネタリュウムは日本のそれとほぼ同じ感じ。天井のドームが大理石を組み合わせて作ってあるのと、周りにインド人が居るのを除いて。僕は、昼食後にプラネタリュウムに来たので、眠くてたまらない。くそ。これで、隣にかわいこちゃんでも居たなら、もう、そりゃーすごいことになってるなーなんて、妄想が広がります。やれやれ

ちょっとの昼寝をプラネタリュームでして、ビクトリア記念堂まで歩いた。このころのインドの気候は、Tシャツで汗ばむ陽気。日本で言う初夏。しかし、乾燥しているのでそれほど不快ではない。しかし、喉が乾く。僕は、いつもボトルウオーターを持ち歩いていた。
このビクトリア記念堂。名前の通りイギリス植民地時代に建てられたなんかの記念堂。行ってはみたが、どうやら中には入れないらしい。
まあ、元々中に入る気は無かった。だって、入場料高いっちゅーねん。

そのまま、セントポール寺院を目指した。この寺院、インドでは珍しいキリスト教の教会。僕は、教会なるものに生まれて一度も入ったことが無い。寺や寺院、仏閣、古墳には入ったことがあるが、教会は無かった。
しかし、公開時間は15時からだった。

僕は、15時まで近くの広大な芝生の公園で昼寝をして待つことにした。さっきの、プラネタリュウムのちょっとの昼寝が尾を引いて、顔が引きつりそうなぐらい眠かった。
その公園は、東京ドームで例えるなら、ドーム4個分はあるだろう。端がかすんで良く見えないほどの広さ。入り口には、馬を引いた親父が立っていて、どうやら馬に試乗できるらしい。もちろん断った。親父は「10ルピー」って、言いながら僕の後ろを馬を引いて追いかけてきた。

僕は、広場に生えているでっかい木の陰に、ほかのインド人も座っている真似をするように座った。
なにか、それはカリフォルニアでのバカンスを想像させた。
でかい木陰には、インド人が50人ほど座っていた。インドの余暇の過ごし方なのか、やたらに凧があがっていた。
僕は、バックを枕にして芝生にねっころがった。空は、相変わらずスモックがかかってた。しかし、良く晴れている。チャイ屋が、「チャーイ」って言いながら、近寄ってきた。このくそ暑いのに、熱いチャイなんて飲めるかー!って思いながら目を閉じた。

気がつくと、15時を回っていた。僕は、起き上がり教会に向かった。たぶん、インドスタンダードじゃ開いてないなって思いながら。

セントポール寺院は、案の定開いてはいなかった。僕は、入り口の影になっている階段に腰を下ろし。開館まで待った。流石に、教会だけあって欧米人が多数待っていた。気の、短い一人の欧米人がドアをノックしながら係を呼んでいたが、梨のつぶてだった。
しばらく待っていると、ガヤで出会いコルカタで再開を果たした、タカチオ君がやって来た。やはり、考えることは同じらしい。つか、シンクロニシティー連発か?インド?
僕は、開館までタカチオ君とあれこれ話しながら時間を潰した。

開館になったセントポール寺院。僕は、生まれて初めて教会に入った。そこは、鳩の飛び交うステンドグラスの綺麗な、重厚な造りの歴史を感じさせる建物だった。木彫りの飾り柱はどうやって作ったんだ?って、疑問に思うほど精巧に作られていた。展示物を一通り見た後、礼拝堂というのだろうか。映画とかでよく見るお祈りやミサを行うところに数人が座っていた。僕は、何かが起こりそうな不陰気を感じて近づくと、仏教徒のタカチオ君が腰かけていた。僕は、横に座り「なにかあるんですかね?」って聞いた。
「うーん、どうですかね?」って、タカチオ君。

前では、インド人従者が何かの準備をしていた。僕とタカチオ君は、何かが起こりそうな気配を感じて、しばらく待った。

気がつくと、タカチオ君は寝ていた。僕は、起こさないようにそっと席をたった。
しばらく見学したが、礼拝堂では何もおきそうに無かったし、相変わらずタカチオ君は寝ていたので、僕は教会を後にした。

コルカタ最後の観光は、今朝閉まっていたニューマーケットにした。時間的にも、そろそろ空港に向かう時間に近づいて来た為だ。
ニューマーケット。すごいね。何がすごいって、地下駐車場があり、その駐車場の出入りはエレベーターを使っての一大イベント。その、車のエレベーターはガラス張りになっていて、多くのインド人がその様を眺めていた。僕も、インド人に混じり眺めた。

ニューマーケットの地下部分は、日本の駅中の施設のように綺麗だった。ピカピカのガラスをふんだんに使った清潔感あふれる店内。僕のビーサン、Tシャツ、ジーンズが場違いの錯覚をするインドでは稀有な場所だった。そうだ、インド第二位の都市に居ることを忘れていた。
携帯ショップもあった。端末の値段は日本円で1万円ほどしていた。
地上部分のマーケットは、上野アメ横を8倍広く2倍圧縮したような感じだった。客引きはいるものの、今までのインドと違って押しが弱い。
バラナシで、日本の女の子が言っていた、コルカタショックを思い出した。
コルカタショックとは。インドに日本から入る場合、ニューデリーかコルカタが一般的だろう。日本人の女の子一人旅で、コルカタに入り初日でインドの客引きやらのカルチャーショックでホテルから出られなくなり、そのまま日本に引き返すことらしい。眉唾ものだが。
ニューデリーから入った方がよっぽどキツイ気がしたが、ニューデリーショックなるものは聞いたことが無い。でも、僕はニューデリーショックは体験したのだろう。この言葉が、ほかに言われていなかったら僕が作った言葉って事になるのかな?

マーケットでスイーツを買い、チャイを一杯飲みホテルに戻った。
荷物を置かせてくれた何とか君が、たまたま居たのでお礼を言った。彼は、日本人のアングラ映画監督みたいな人と知り合いになっていたらしく、呼ばれて去っていった。何でも、これから撮影するから見学するらしい。ぼくも、時間があれば見たかったが。。。

バックパックを背負い、メトロ駅に向かった。僕の勘違いで多めに紙幣を差し出したおかげで、多めに支払った事に車内で気がついた。8ルピーの所、28ルピー支払っていた。くそ。これも、何かの経験になるのだと強く信じ満員電車に揺られた。

ダムダム駅から、サイクルリクシャーで空港に向かった。一番安い60ルピーの値段を示した親父のサイクルリクシャーに乗り、あたりが暗くなった街を40分ほどかけて空港に到着した。おもえば、この親父やたら飛ばしていた。誰も、乗っていないサイクルリクシャーを何台も追い抜き、汗だくになって空港まで僕を運んだ。

空港に着くと、僕は100ルピー差し出した。返ってきたのは30ルピー。ん?出たインドスタンダード。
早速僕は、「おい、10ルピー返せ」って親父に言った。
親父は、「10ルピーチップね」って、ニヤニヤしながら答えた。
あー、もうめんどくせーって思った。僕は、何度と無く「10ルピー返せって」言った。
彼は、頑として首を振り続けた。
その様子を見た、同業者のインド人が近寄ってきて、僕に「日本人。それは施しだよ」って、真顔で言った。くそ
「施しとは、与えるものだろうがー!お前のやっているのは、詐欺っていうんだーボケー」って、英語が達者なら言えたのに・・・

僕は、日本語で「しねー馬鹿インド人。これだからインド人はなんたならかんたら」言いながら空港に向かった。
もはや、完全なる負け犬の遠吠え。振りかえると、汗だくのインド人が「なに言ってんだ日本人」て、複雑な表情で見ていた。
思えば、彼は汗だくになりながら必死には早くペダルを漕ぎ空港まで僕を運んだ。日本で30円にも満たない金額で、あれやこれや言い争うのは不毛っておもうかーボケー。僕は、器量の小さな偏屈な人間です。

明日の朝6時は発の飛行機のため、チェックインは4時台になることが予想された為、最近おなじみのリタイアリングルームを目指した。
ガイドブックに書いてある二階を探したが見当たらない。ん?あれ。これは・・・っと
たまたま、通りかかった空港職員の親父に「リタイアリングルームどこですかー?」って、発音が悪かったらしく2回ほど言い直した。
彼は、「あー無いよ」って言った。
「げ!マジか!」
彼は、その様子を見ていたらしく「1階に下りて左に行き右に曲がった所に、○○があるから行きなさい」って言ってくれた。
この、○○ってところが聞き取れなったが気をよくした僕はサンキューって言って彼と別れた。

彼は、近くまで案内してくれた。その指示されたところは、「MANAGRE ROOM」と書いてあった・・・
あー、ここでホテルの相談をしろって事か・・・やれやれ

僕は、空港から離れたくなかったので柱の下に設置された円形のクッション付の椅子を今夜の寝床に決定して、空港内の軽食堂でバーガーとコーヒーを食べた。
小さな軽食堂の奥では、キングフィッシャー航空の職員がミーティングを行っていた。テーブルにはワインのボトルがあった。
キングフィッシャー航空は、元々飲料を販売していた企業らしい。それが、自由化により旅客航空産業に進出した企業。独占運営だったエアインディアとは、サービス・クオリティーで天と地の差がある。なんか、洗練された感じ。アテンダントがサリーを着ていないってだけでも、すげーって思うのに、インドで初めてインド人女性のスカート姿を見たのもキングフィッシャー航空の制服が始めてだった。でも、スカートでストッキングを履き、ヒール付の靴で歩くインド人は、何か違和感を感じた。

トイレで歯を磨き、バックパックを枕にベンチに寝転がった。最近、こんなのばっかりだ

さあ、明日からインド旅最後の都市ムンバイだー

テーマ : インド - ジャンル : 海外情報

インド日記 ムンバイ初日

2月24日 ムンバイ初日

その日の目覚めは、最悪だった。
昨晩のすったもんだで、空港のベンチでの仮眠だったからだ。

ベンチでの仮眠。

日本では考えにくいだろうが、インドにおいては、ありふれた日常。
インドになじんできた僕にとっても、別段特殊な事だとは思わない。

あー、学生のころ飲みすぎた勢いで、新宿駅東口のシャッターの前で朝9時まで寝てた方が特殊かー

では、何が最悪だったか?
ブッタガヤ〜コルカタ間の列車の車内でも遭遇した、豚ちゃん。ここ、コルカタ空港にも存在したのだ。

僕は、ニューデリーから東にやってきた。西と東では人種が違うようだ。
西はアーリア人、東はベンガル人。確かそうだ。
アーリア人は、欧米人に近くスタイルも良い。
ベンガル人はアジア人に近く、スタイルも日本人にちかいものがあって、どことなく親近感がわく。
しかし、ベンガル人の豚ちゃん。こいつらときたら
「紐で縛ってチャーシューにすんぞ」
と、常に感じるほど鬱陶しい。くそ。くそ。

日本人に見られる「奥ゆかしさ」「謙虚さ」など皆無。
あるのは、「私豚ちゃん。何でもOKなのよ。だって、豚ちゃんだもの」

はー、鬱陶しい。

あー話がそれました。
この豚ちゃん。あろう事か、僕の枕代わりのバックパックに寄りかかって、友人と下らない話で大爆笑中の午前1時。莫迦か
僕は、寝ているんだ。なぜ、そのバックに寄りかかり馬鹿笑いでゆれる醜い体の振動で、僕を揺さぶり起こすんだ。莫迦か

僕は、寝ているときに意味もなく起こされるのは腹が立つ。
きっと、僕の器が小さい。そう、小さいのだけれど、こと豚ちゃんに、うんこみたいなやつに無駄に起こされる。あー、今考えても鬱陶しい。

僕は「ヴガー」って、意味もわからない言葉を叫び、豚ちゃんからバックパックを引き離した。
豚ちゃんは、そんな僕をみて少しは引いていた。たぶん、変な東洋人だと思ったんだろう。
それでも豚ちゃんは、バックパックにもたれ掛かってくる。
僕は、舌打ちを2回ほどした。豚ちゃんはようやく理解したのか、バックパックの揺れは収まった。

起きた拍子に、空港のロビーを見回した。ベンチというベンチには、人が溢れていた。
座れきれないほど人で溢れていた。時間は、午前2時だ。
インドの混沌とした交通事情を考えると、当たり前のことだろうが、早朝の便を待つ人でロビーはごった返していた。

僕は、前日の21時には空港に来ていた。そのころの、ロビーには行き交う人しかいなかったので、横になってベンチに寝ていた。
日本だったら、気まずくなって座って寝るのだろうが、ここはインドだ。
僕が座っておとなしく小さくなって寝たとしたら、豚ちゃんが横になって寝るに決まってる。きっとそうだ。
だから、僕はそのまま横になって寝た。絶対譲らん。

午前3時30分。起床
くそ、たぶん2時間ぐらいしか寝てない。
頭がフワフワする中、トイレで歯を磨き顔を洗った。
バックパックを担ぎ、早めにチェックインした。スムーズにチェックイン。
僕は、日本でおこなったチェックインを思い出し、まったく同じ手順でおこなった。
だって、トラブルがあったって何言われているかわからないしね。はー、英語ができれば。

僕の乗る便が表示され、待合室みたいなところに通された。
どうも、前の便の乗客が全員集まっていないらしく、係員がもめていた。
しばらく、時間がかかるようなので、僕は日本から持ってきたPSPで「みんごる」をやった。
さすがに、航空機で移動できる所得層のインド人。PSPをみたところで特に驚きもしない。だから、暇つぶしにできたんだけれど。

ようやくアナウンスされ、通されたところはバス乗り場だった。
流行っているのか?
僕は、飛行機に乗りにきたのであって、バスに乗りに来たのではない。

そんな、駄々をこねたって何も始まりはしない。僕は、大人だ。黙ってバスに乗り込んだ。
飛行機での僕の座席は窓際だった。

あれ、国内線の機体のほうが綺麗じゃないか?あれ?パーソナル液晶モニターが付いてるじゃないか?
あれ?これ日本でも見たことないぞ!あれ、タッチパネル?あれ?パーソナルエアコンディショニング付き?
むー、混沌のインド。よくわからん。

しかし、インド。インドたる所以ではないかと思う、時間のルーズさ。
もう、どーってことない。定刻なんて、デジタル表示された数字に対して、飾りにしか思えない。
もう、目安。沖縄もそんな感じじゃないか?まあいいや。
定刻を1時間過ぎても、動く気配なし。タラップも機体の側面に付いたまま。あー、一寸イラッとしている。
たぶん今日も駄目だ。アナウンスがあったが、何もわからなかった。理解出来なかったってこと。

しばらくすると、機内食が提供された。所謂、空飯。今日は、地上飯。
クロワッサンとオムライスと揚げたやつ。ミルクティーは毎度の事。
飯を食べたら、眠るインド人。僕は、PSPをやりながら外を見て時間をつぶした。
タラップから降りて、空港内で体操をするインド人。僕も、外に出てみた。

飛ばない理由がわかった。濃霧。空港一面に濃霧が立ち込めていて、30メートル先が見えない。
「こりゃ、飛ばねーわ」と納得。

機内で待つこと3時間。機内が空港がざわめく。
ようやく、霧がはれ空港使用が可能になったみたいだった。
しかし、動かない飛行機。後で気が付いたが、着陸機優先だろうね。燃料代も馬鹿にならないし。

それから約15分ほどで、ようやくジェットエンジンが唸りをあげた。

インドの空は、どこでも薄曇らしい。窓から外を眺めているとハッキリわかった。
西の果てから東の果てまで、薄曇の空。
途中で、クレーターのような真ん丸い大きな湖をみた。でかい。
グランドキャニオンのような、崖もあった。デカン高原との境なのだろうか?
地球の歩き方の地図にもハッキリ表示されている、長く連なった崖。たぶん高度差が2000メートルぐらいあるのではないだろうか?
それが、永遠にも思えるほど連なっている。まさに断崖絶壁。こりゃすげー。って、遅れた飛行機の事など、とうにわすれて見とれてしまう美しさ。
「はー、グランドキャニオン見たことないけど、たぶんグランドキャニオンよりすげー」って。

12時にムンバイ到着。
やれやれ、すでに体が痛い。食事を取ろうかと思うが、適当な食堂も見つからなくトボトボと空港の敷地を歩く。
しかし、熱い。27度ぐらいはあるのではないかと思う、よく晴れたムンバイ。
晴天が、僕を出迎えてくれたのだろうか?とは、まったく思いませんでした。
敷地内の、ベンチには欧米人女性が寝転がっていました。さすが、国際都市。

ムンバイは、インド1位の商業都市。人口も半端なく多く、世界で一番人口の多い街と言われている。
経済も主要な銀行などが集まりっている。娯楽も数多くあり、フィルムシティーもあり映画産業が盛んな街である。
ハリウッドに対抗し、昔の呼び名である「ボンベイ」をもじって「ボリウッド」と呼ばれていたりもする。

と、まあそれはそれはすごい街なのです。
リクシャーに乗るべく、リクシャー乗り場を目指したのですが、さすが国際都市。
リクシャー乗り場に、不正が無いように空港職員がチェックをしている。へーすげー

僕は、行き先である「アンデリーレイルウエイステーション」を、空港職員に告げた。
空港職員が、リクシャー運転手に行き先を告げると、空港職員が「幾ら?」って、僕に尋ねた?
意味がわからん。僕は、運転手に「幾ら?」って聞いた。彼は「200ルピー」って言った。

まあ、よくわからんが空港職員はメーターを倒して、車体を叩き、それが出発の合図だった。
空港の、敷地から出るときにも空港職員のチェックが入り、行き先を聞かれた。うーん、これもインドか?

200ルピーかかるって事は、相当遠い場所にあるって事だろうと勝手に判断して、シートに深く沈み街を眺めた。

20分ほど走っただろうか。アンデリー到着。「は?近っ!」って、おもった。
メーターはよくわからないので、100ルピー渡したら「200って言ったろ」って
くそーーーーー。確かに僕はOKした。くそーーーーー。空港職員がいるってだけで、ここはインドだって事を忘れていたー。
僕は、自分のあほさ加減をかみ締めながら、渋々200ルピー払った。もうー、かなりファックなんですけど。

後で気がついたが、地球の歩き方には40ルピーでいけるって書いてあった。俺ファック。何故確認を怠ったのだ。自業自得ではないか。勉強になりました。くそ

郊外列車でアンデリーレイルウエイステーションからチャーチゲートレイルウエイステーションまで8ルピー。安っ!
郊外列車とはその通り、郊外圏からの通勤列車なのです。8ルピーはセカンドクラスの料金で、ファーストクラスだと5倍ぐらいしたと思いう。

インド人に聞いたとろ、郊外列車には急行と鈍行があるとの事。だが、どれが急降か鈍行かわかりゃしない。くそ
プラットフォームの売店で、ペプシを買い列車が来るたびに、インド人に聞いた。

急行に乗れたようだ。

セカンドクラスの車両には、すさまじき人数が乗っていた。
バックパックを抱えた、アジア人がこの列車に乗ること自体が珍しいのか、僕が奇特に見えるのか、僕の自意識過剰なのか、分からないが
やたらに視線を感じる。

「ドアなんて閉めるわけないぜ!だってここは混沌の国インドだぜベイビー。」なんて、一言も聞いたことは無いが、入り口まで人で溢れかえった列車のドアは閉まることはなかった。

途中で、爺が僕を見かねて席を詰めて「日本人、ここに座りなさい」って、言ってくれた。
僕は、促されるままバックパックを抱えてシートに座った。
車窓には格子が入っていた。窓からは、生ぬるい風が入ってきた。

約40分ぐらいで、チャーチゲートに着いた。

チャーチゲート駅は、昔の上野駅を彷彿させた。天井から垂れ下がった、天上扇はまだ回っていない。つまり、まだ暑くは無いらしい。
日曜日の昼下がりの街には、人通りが疎らだった。

タクシーを捕まえ、インド門を目指した。流石に国際都市らしく、タクシーはメーターを必ず倒して走行する。
僕は地球の歩き方に書いてあった、メーター換算表を元に20ルピーを支払った。たぶん、5ルピーぐらいボラれているが気にしない。

目的地の「サルベーションアーミー」を目指すが、一向に見当たらない。地図上ではこのあたりなのだがさっぱり分からん。
って、後ろ後ろ志村ー、後ろ。張りに、僕の後ろに「サルベーションアーミー」は佇んでいた。

ドミトリーで1泊150ルピー。ブレックファースト付き。デポジットで50ルピー。
世界共通だろうが、都市部は物価が高い。150ルピー払えば、ホットシャワー付きのシングルに泊まれたアノ頃が懐かしい。

旅で一番疲れるであろう、ホテル探しにウンザリしていた僕は、そのままチェックイン。
ここは日払いだった。毎朝、次の朝まで分の宿泊料金を支払う。最大連泊は7日だった。不思議なシステム。

荷物をベッドに置いた。部屋を見回すと欧米人が多く泊まっているらしい。それもその筈、サルベーションアーミーとはキリスト教関係ら

しく、救世主軍のどうのこうのらしい。たぶんその影響だろう、チープなクリスマスツリーやサンタのデコレーションが小さく飾ってあった。

ムンバイ。インド一の都市。ギャングがいる都市。ムービーの街。花町もあるらしい。要するに都会。

時間は15時。遅めのランチを食べるべく、念願だったマクドナルドに向かうことにした。
メインストリートとでもいうのだろうか?そんな通りの中ほどにマクドナルドはあった。
1階部分にマックシェイクとアイスクリームを販売する部分が設置されていた。2階が飲食スペースだった。
僕は、2階へ向かった。ガラスのドアを開けると、エアーコンディショニングが効いた、店内にはマクドナルドの匂いがした。
それは、なぜか懐かしく思えた。

僕は、レジに向かい「オリンピックLLセット」を注文した。ドリンクは、インドで僕の命の水となった、ペプシをチョイスした。

日曜日だからだろうか?店内はインド人で溢れかえっていた。そう、インド人で溢れかえっていた。欧米人は殆どいない。
さすが、大都市。上層中流階級が多いのだろう。むー、それにしても込んでいる。

僕は、日の当たる席に座った。
チキンバーガーとLLフライドポテトとLLペプシ。117ルピーした。日本円で約360円。インドでは、大金だよ。まったく。
僕の泊まっているホテルの料金が、150ルピー。やれやれ。
味は、米国とほぼ一緒だった。ポテトなんて待ったく同じ味。まあ、芋は別として、かける粉が同じなら、同じ味だよなって、納得。
インドは、ベジタリアンとノンベジタリアンは厳格分かれているらしい。
マクドナルドにおいても、チキンバーガーとベジタブルバーガーの2種類しかなかった。
ベジタブルバーガーの具は、たぶんジャガイモを捏ねたものと、数種類のベジタブルをフライしたものを挟んであるのだと思う。

僕は、あらかた食べ終えてペプシを飲みながら、店内を見回した。

店内にいるインド人は、ほかの都市で見るような民族衣装を誰も着けてはいなかった。
アメリカナイズされたインド人。彼らは、洋装スタイルでまるで下北沢か北千住にいる大学生のような、いでたちだった。

アメリカナイズされたインド人。変な感じがした。

マクドナルドのオペレーションは、日本でちょっと前まで行っていた、作り置きのシステムだった。
新しいオペレーションは、メイドフォーユーだっけ?オーダー後に作るってとこまでは、きてはいなかった。
僕はおなかが一杯になったので、散歩がてらにインド門に向かった。

インド門。んーん、でかいなー。半分工事してるんだー。中通れないんだ。へー。
まあ、要するにツマランってこと。

インド門の裏には、アラビア海が広がっていた。

コルタカにきた目的でもある、アラビア海で泳いでやるぞー。の、下調べに、やたら人だかりが出来ている岸壁から覗き込んだアラビア海は、ガンガーより濁っていた。

「なんじゃこりゃー」たぶん、僕は日本語でつぶやいた。キタナイ。くそーー
空き缶・ペットボトル・ポテトチップスの空袋が岸壁をすべて埋め尽くしていた。海は、洪水の後のような色だった。
沖には、馬鹿でかいクルーザーがとまっていたり、ヨットが航海していたりで、海上は賑わいを見せていた。
エレファンタ島への遺跡見学のフェリーが30隻ほど係留されていたアラビア海。
湾になっていたので、外洋のビーチに行けば何とか泳げるかもと、微かな望みを胸に秘め、インド門の向かいにある、タージマハルホテルを見学することにした。

やー、でかい。このホテル。旧館と新館からなるこのホテル。旧館は、モダンでクラシックな洋館のたたずまい。
新館は、近代的なビルジング。まー、すげーの何のって、1泊5万円だって。はー、僕のインド1ヶ月の滞在費じゃないか。莫迦か

このタージマハルホテルの建設のきっかけになった話が、イギリスだかで友人とホテルへ食事に向かったとき、外国人はお断りだと断られ、それを見返すために最高級ホテルの建設を建てたって、話だったと記憶している。
建設者が日本人の田島春さん。だからタージマハル。ごめん嘘

まーブルジョアの匂いがプンスカプンスカ。こきたない身なりの僕は、とてもじゃないが入れてくれそうにない不陰気。
それでもと、周りを徘徊してるとイベントを開催しているではないかと気づき、向かってみると。フェラーリのデモカーのイベントだった。

はー、すごいっすねー。インド。あれ?ここインドだっけ?あー、よくわからんねーインド。混沌だねー。

タージマハルホテルの入り口横には、でかい馬の彫刻があった。顔がやたらデフォルメされていて、劇画のような顔だった。
タージマハルホテルの、守衛は顔がキラーカーンのような、パイレーツオブカリビアンの悪役のような顔だった。

ガイドブックにある観光スポットの第一面にタージマハルホテルが掲載されている時点で、この都市には観光する要素がないことが一目瞭然だった。
観光スポットでホテルって。苦肉の掲載だと思う。

僕は、インドで唯一本格的なコーヒーが飲めると噂の、バリスタカフェを探し歩を進めた。
インドで、飲み物といえばチャイとボトルウオーターとペプシ。コーヒーはあるにはあるが、ネスカフェオンリー。しかも割高。
そんな約1ヶ月で、コーヒーに飢えていた。

洒落た店内。スターバックスとタリーズを足して2で割った感じの店内。僕は、カフェモカを注文して、フカフカのソファーに沈み込んだ。
店内には、初老の欧米人夫婦とインド人の3人組みの若者と、インド人男性一人の三組。
僕は、店内を見回しながら、コーヒーが来るのを待っていた。
3人組の若者は、カップルと女友達といった内訳のようだった。店内のインテリアは、スターバックスにとても近かった。
運ばれてきた、カフェモカは85ルピー。今日はお金を使いすぎている気がした。
カフェモカにシュガーが2本ついていた。僕は、迷ったが2本シュガーをいれて飲んだ。
インドで、こんな本格的なコーヒーが飲めるとは思わなかった。僕は、ガイドブックを眺めながらコーヒーを飲んだ。

3人の若者は決して行儀が良いとはいえなかった。店員も、インドにしては珍しく注意らしきものをおこなっていた位。
渋谷によくいそうな感じの、まあ、あれな感じ。インドで人前でべたつくカップルなんて見たことなかった。
たぶん御国柄なのだろう。そーいえば、リチャードギアがインドの女優にキスしようとして国際問題寸前までいってたお国柄なのに、都会は違うのねー。どこの国でも一緒かー。ニュージェネレーションなのかねー。

久しぶりのコーヒーを堪能して、ホテルに戻りインドでずっと履いていたジーパンを初めて洗おうと思い立った。
インドではシャワールームに必ずウオッシングバケットが置いてある。それで、洗濯を行うわけだが、なんせインドの砂埃のなか1ヶ月近く洗わなかったジーパン。バケットの水はガンガーより汚くなった。
ついでに、シャワーを浴びるのがインド流。
コルカタの気温だと、水シャワーで十分。ビーサン履いて、水シャワーだと、どうもプールを彷彿する。
まあ、水しか出ないから仕方ないよな。

2段ベッドの下だったから、支柱に洗濯ロープを張りジーパンとその他洗濯物を干した。

テーマ : インド - ジャンル : 海外情報

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